トラウマ日記   ■2002年6月30日まで


2002年6月26日(火) お久し振りです

3週間振りに日記を書きます。
6月4日に日記を書いて以来、間を空けずに中国を往復し、先週は日本へ、今週も昨日から2日間だけの上海出張をこなし、W杯準決勝(ブラジル対トルコ)の生放送に間に合うように家に戻ってきました。今週の出張はこれで終わりですが、来週は北京、上海へ4日間の出張。本当に週末だけ香港にいるような生活が続いています。但し、来週の出張が終われば、7日から家族で夏休み休暇でバリ島へ8日間ほど出かけます。

さて、盛り上がっているW杯ですが、本来サッカーに興味がなかった私も、日本の快進撃に感動を覚え、にわかサッカーファンに。勤務中に面白い組み合わせがあったときはスーッと会社を抜け出しテレビ観戦。(これって香港では当たり前?) 日本が敗退した後も、好組合せの試合はできるだけテレビ観戦しました。先週の金曜日は成田空港で「イングランド対ブラジル」を観戦し、あーサッカーって結構面白い、とつくづく思う今日この頃です。
でも私はラグビー専門なので、W杯終了後はトライ・ネイション(ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの3ヶ国による総当り戦)へ気移りする予定。来年の11月にはラグビーW杯がオーストラリアで行われます。既に日本、韓国、台湾の2ヶ国+1地域によるアジア地区最終予選が始まっています。日本は初戦の韓国を歴史的な大勝で下し、順当に?本戦へ進んでくれることと信じています。
さらに、個人的には来年5月中旬にオーストラリアのブリスベーンで、ニュージーランド航空主催の35歳以上のOld Playersによるワールドカップ?が行われることになっていて、私も香港チームの一員として参加予定。一週間の休みを取ってラグビーの試合に行くのはこれが最初で最後になりそう?ですが、香港生活の良き思い出として是非参加したいと思っています。でも11ヵ月後のことなのでまだはっきりと決めていませんが・・・。

あまりに久し振りの日記で、書いていたら頭がこんがらがってきたので、今日はこの辺で。カミさんのメルマガのように定期的に書くように努力します。

By タカ
   


2002年6月23日(日) 回転寿司

夫は先週とても忙しく、HPのアップもままならぬまま駆け足の日本出張に行ってました。そこで子供が大好き(ちなみに夫は大嫌い)な回転寿司へ二人を連れて行くことにしました。食べ盛りの長男は放っておくと帰り道に「ママ、気持ち悪い」と言うほど食べてしまうので、いつも"自分の年まで"にお皿の数を制限しています。なので長男は8皿、次男は5皿です。食べ始める前にこのことを再確認すると「いいな〜、ママだけいっぱい食べられて・・・」と、使い古しの冗談のようなことを毎回本気で言う二人。でも実際、次男は3〜4皿を食べるのが精一杯です。ところが長男は8皿で止めるのが一苦労。大人の私ですら7皿ぐらいで終わると言うのに・・・。

ところが今回、体調が今ひとつだった長男は5皿でリタイア。いつも終わりはごねるのにあっさり「お腹いっぱい」と身を引いてビックリ。「本当にどこかワルいんだろうか?」と心配になるほど。ところが次男はアニキの使い残しの枠(?)を譲り受けて、年齢+1皿の6皿をペロリ!なんだったらもっと・・の勢いに思わずこちらが止めに入ったほど。成長というとついつい何でも初めてとなる長男の方に目が行ってしまいがちで、ことの展開が読める二番目への注意は比較的散漫になってしまうので、こんな些細なことにもドキッとさせられました。

プールシーズンたけなわとなり二人に日焼け止めクリームを塗ってあげる機会が増えましたが、その一段の色の黒さと皮膚の下の弾力のある筋肉の存在に驚かされる今日この頃。二人ともついこの間まではベビーファットでムニュムニュ、プクプクしていたと思ったら、何だかいっぱしの硬さになっています。特に長男は身長135センチ、体重35キロ、靴のサイズは23センチで背の高さでは白人を含めクラスでトップ。回転寿司でお皿を堆く積み上げ始める前に、早く移住しなくては・・・。

by みこと
   


2002年6月9日(日) 大汗の1日

今日は珍しく朝から夫とジョギングへ。走り始めたとたん、長男の担任だったキウイの先生にばったり遭遇!彼女とは学校の企画で中国へ一緒に旅行した仲で、公私共にお付き合いさせてもらっていたのですが、担任でなくなってからは息子の連絡帳を通じてのチャットがなくなりついついご無沙汰気味に。そのため突然の再会を抱き合って喜びました。日本人の目から見たら不自然なくらい大袈裟に見えるかもしれないけれど、本当に会いたかったところだったので物凄く嬉しく、彼女もそう思っていてくれたことで嬉しさも倍増でした。聞き違えていたメルアドをしっかり確認して分かれました。

汗だくで帰ってからはシャワーの後、午後に企画していた息子のスクールバス友達を招いての"スイミング&スピニングトップ(ベイブレードのこと)パーティー"のために最近ハマっているパイ作り開始。16個焼いたところでそろそろ時間に。2時頃から子供たちが集まり始め、全員を夫と一緒にプールへ送り込み、私は飲み物だのタオルだのを持って行ったり来たりと完全に後方部隊。ひとしきり泳いだあと、とうとうバトル本番に!7人の勝ち抜き戦で5歳の次男が平均年齢9才以上の兄貴連中に食い込んで堂々4位と大健闘!バトルの時はこちらがビビるほど真剣勝負で、思わず進行役の大人の方が額に汗でした。

パーティーが終わってからは簡単に夕食を済ませ、子供の宿題を見てあげてから今度は夫と日本対ロシアのW杯観戦へ。所属するスポーツクラブの大画面でたっぷり楽しみました。Jリーグは私が日本を出てからできたものなので、実は日本のサッカーの試合を最初から最後まで見たのはほんの数回ですが、日本最高峰の試合を見て、身の回りで「え?この人も?」と思うような人までが深く深くサッカーファンになっていった気持ちが、超遅まきながらわかるような気がしました。プロの仕事を思いっきり見せつけられ、歴史的なW杯初勝利を目撃することができ、本当に手に汗を握る90分でした。

by みこと
   


2002年6月4日(火) 在香港9周年

9年前(1993年)の6月4日、私たち夫婦は二人だけで香港に移ってきました。その当時は日系の会社に籍を置いていて、香港への移動は、いわゆる「転勤」でした。約4年間を過ごしていた前任地のシンガポールにも多少の飽きがあり、私たちにとってはグッド・タイミングの転勤でした。
それから約1ヵ月後、長男を妊娠したことが判り、約2年間の二人だけの生活から新しい家族を迎え入れる準備が始まり、その家族を迎える直前の12月末に私はその当時の会社を辞め、1994年1月から新しい会社へ移りました。香港に移り住んでからの1年間は、いままでの生活と仕事が一新された忙しくも新鮮な時でした。

この9年間の香港生活で家族は4人になり、香港永久居民(永住権をもっていること)にもなり、子供たちは学校と学校外の時間を楽しみ、私もカミさんも平凡ながらも平和な毎日を過ごしています。これはひとえに香港という場所のおかげだと思っています。
広東語が通じなくとも英語で不自由なく生活でき、治安は良く、日本のものも容易に入荷し、所得税は安く、外国人に開かれた社会環境は、いままで暮らしてきたバンコク、シンガポールと比べると格段に上で、私にとっては日本よりも生活し易いと心から思っています。

ほとんど不自由のない香港生活も、カミさんの「ニュージーランドで暮らそう」発言以来、近いうちに終わりがある生活になっています。あと何回「今日が在香港○周年」を迎えるのか・・・。9周年の記念日の今日、一人考えるのです。

同じく9周年を迎えたカミさんは、今日13周年を迎えた「天安門事件(いわゆる六・四)」の追悼集会に長男を連れてビクトリア公園へ行っています。6月4日という日は、香港にとって、そして香港に住む私たち夫婦にとって一生心に刻まれる日になることでしょう。

By タカ
   


2002年6月2日(日) 西蘭家の一大事

日系スーパーで日本食フェアがあったので、昨晩は金目鯛の干物だの子持ちニシンだの普段手に入らないものをモウモウ煙を上げながら焼き、大根も1本半煮てしまい、その皮でキンピラを作るためにこれまたゴマ油をジュージューやって夕食作り。先に子供たちに食べさせ出したら、ラグビーの試合を観に行っていた夫から電話が入りました。

「大変だ〜。今夜ボール(舞踏会)に行かなきゃならなくなった。9時からなんだけど・・・・」ええぇぇぇ。夕餉の香りが自分の身体から立ち上っているのが良くわかり、「こんな魚くさいままでは・・・」と大急ぎでシャワールームへ・・・。足のスクラブ、シャワー、ペディキュア・・・とバタバタ用意し、汗(冷や汗?)が引っ込んだ頃を見計らってイブニングドレスに袖を通し、自分ではどうにもできない髪はハイライトで誤魔化し(全然、誤魔化せなかったのですが)、普段より少し丁寧に化粧をして一丁上がり。やはり慌てて帰宅してシャワー&蝶ネクタイの夫とタクシーに飛び乗り会場へ!!

ナゼこんなに急にボールに出ることになったかと言うと、夫が所属するラグビーチームの「Player of the year」に選ばれたからで、ラグビー部の会長自らに「絶対来い!」と耳打ちされたためだったのです。フラリとラグビーを観に行かなければ日本直輸入の干物の夕食だったのが、一転フルコース・ディナーに・・・。所属して4年目の快挙。チーム内に日本人がたった一人で心細いことも多々あるだろう中、言葉やレベル(チームメートはほとんどがラグビー強豪国出身者です)の壁を乗り越え、百数十名の中から選ばれた5人のうちの1人に入ったことは、西蘭家にとって本当に祝福すべきこと。多少、魚臭くても駆けつけるべき一大事でした。

表彰の壇上では名前入りのシルバーのマグカップで他の表彰者と一緒にビールを一気呑み。このカジュアルさがラグビー関係のボールのいいところ。帰ってきてからもマグカップを手に夫はご満悦。「これ、棺桶に入れてね。」どうも私より先に行く気らしい。

by みこと
   


2002年5月30日(木) 第二のタイランドなってしまう中国?

4日間の中国出張から今夜戻ってきました。今回は初めて青島を訪れました。青島は「青島ビール」で有名ですが、世界有数の家電メーカーにのし上がった「ハイアール 海爾集団公司」の本社があるところとしても最近は知られているところです。既に冷蔵庫の生産量は世界最大で、今年から三洋電機の販売網を通じて日本にも進出するので、日本の家電メーカーにとっては相当の脅威になることだけは確かです。(既に脅威になっていますが・・・。)

ちょっと堅い話になりましたが、ここからが本題。タイトルにした「第二のタイランドになってしまう中国?」とは売春問題のことです。青島の次に訪れた烟台(やんたい)という町には驚きました。泊ったホテルは4星(この町には5星ホテルがない)ですが、夜9時半頃から15分おきくらいに中国語で「マッサージはどうですか?」という電話が部屋にかかってきました。中国語が全くダメな私でも、「マッサージ」だけは聞き取れ、それから察して何の電話かは容易に想像できました。あまりのしつこさに日本語で「いいかがんにしろー」と電話口で怒鳴ったらそれ以降はかかってこなくなりました。

場所は移って北京。大中国の首都、最も保守的で警察の目が行き届いていると思われる北京は、ストリート娼婦がうようよ。私の会社の事務所は大使館街にあり、その近くには三里屯と呼ばれるお洒落なバーやレストランが集まる一角があります。(ユネスコ北京事務所のすぐそば。)ここを歩いていると、もう寄ってくる、寄ってくる、付いて来る、付いて来る、の状態。確かに外国人が多く集まることから需要があるのでしょうが、大使館街ということで周辺警備をする武装警察や公安がうじょうじょいる状態でこの有り様。公道上でこの状態であれば、裏世界は相当なものがありそうで、これは改革開放の一種のひずみか、もしくは普通の国に近づいている証拠なのか、ここ最近ひどさが目立ってきました。

APEC開催、オリンピック誘致の成功、サッカーワールドカップ初出場、上海万博誘致活動など非常に目立つ中国ですが、このままいくと不名誉な部分でも世界最大の供給国になってしまう?可能性があります。何と言っても中国の魅力は「人件費の安さ」ですから・・・。

Byタカ
   


2002年5月26日(日) 子供たちの社交

今住んでいるマンションに引っ越してきてから、日曜日に家族全員で出かけることが少なくなりました。というのも、子供たちにとっては同じマンションに住む友人たちと遊ぶことが、日曜日の大事なイベントになってしまったからです。

ある時は朝早くから香港人の友人宅に押しかけ、その友人と我が家の子供たちがまだ寝ていた両親に押し返され、我が家で朝ごはんを食べていた、とか、「そちらの子供がこっちの家にいるけれども、今日のランチはどうするんだ?」「うちの子はそちらにいますか?」という電話連絡を頻繁に取りながら、どの家も放し飼い状態で子供たちを自由に遊ばせています。「今夜は○○が夕飯を食べてったよ」とか「うちの子がアマさんの作った料理が美味しいと言うので、その作り方を教えて欲しい」というのもあります。

引っ越してくるまでこんな状態を想像していなかったこともあり、ある時は「ちょっと迷惑をかけすぎかな?」などと思ったりもしますが、どの家もお互い様のような気もしてきて、我が家も日曜日は玄関を開けっ放しにしていて、誰がいつ来てもいいようにしています。30世帯しかいないマンションで、子供がいる世帯は10世帯ほどしかなく、ある意味では子供同士がコミュニケーションをとりやすい、ほどよい大きさの環境といえそうです。こうして子供たちは、学校では体得できない地域社会を実体験していくのかな?と考えたりしています。人種は日本人、香港人、オーストラリア人、歳は下は5歳から上は12歳まで、アパートの敷地内を自転車やキックスクーターで走り回っています。そして今度の土曜日からはプールがオープンするので、今度はプールが社交場になりそうです。

話は変って、私は明日から再び中国出張です。先々週は天津と北京へ5日間、先週は上海と無錫(むしゃく)へ3日間、今週は青島と山東省の烟台(やんたい)という小さな町、そして北京へ4日間出かけます。来週以降はワールドカップをTV観戦する為、出張は控える?つもりです。

Byタカ
   


2002年5月24日(金) ユーミンのインターネット・ラジオ

ユーミンの声を週末だけ聴ける・・・という画期的なインターネット・ラジオがあります。
実は、2週間前に観に行ったユーミンの香港公演で知りました。(えっ、あれからもう2週間・・・。)先週末は香港公演の関係でお休みだったので、それを聴いたのは今夜が初めてです。約1時間の放送は、15年前に日本を離れる時までほとんどの日曜日の夕方にFM東京で聴いていた、ユーミンの番組を思い出せてくれました。学生時代の日曜日といえば、ラグビーの試合か車でのデートが多く、ユーミンの番組も車の中で聴くことが多かったと記憶しています。まあ、その時の情景を思い出すことはありませんが、なんとも言えない懐かしさをインターネットを通じて感じました。
金曜の夜はユーミンのインターネット・ラジオ・・・これは我が家の定番になりそうです。

Byタカ
   


2002年5月20日(月) 雨の三連休・・・

久し振りの三連休は完璧な"梅雨状態"・・・。先週末も雨・・・。ということで、特別なイベントもなく、家でホームページのアップデートや家事?で三連休が終わりました。

といっても、長男だけは昨日昼間にクラスメートの家に遊びに行き、そのままお泊りになってしまい、帰ってきたのは昼過ぎ。どうやら夜通しプレステをやっていたらしく、帰ってきたとたんにベッドへゴー。実は西蘭家にはTVゲームなるものは一切ないので、友人宅で遊べるときは心も体も完全にはまってしまっているようです。でも、親のポリシーでTVゲームはノーなのです。とにかく、子供は体を動かして遊んで欲しいことから、自転車やらスイミング、柔道など体力向上につながるものは積極的にやらせています。さらに食事は残すことを許さないので、背丈は白人の多い学校の同学年でもトップクラスの高さ。これにスピードが加われば面白いぞ・・・と、親の期待はおつむよりスポーツへ。

一方、なんだかんだケンカしながらもお兄ちゃんとベイブレード・バトルをしたい次男は、私やカミさんに「バトルしようぜー」と挑んできますが、根本的にベイブレードに遊びなれていない我々は5分ともたずに飽きてしまい、あまり遊んであげられなかった・・・もっと練習しときます。

7,8月は学校休みになることから、先週から夏休み旅行を真剣に検討し始めました。行き先はインドネシアのバリ島に決まり、カミさんは仕事の都合で8日間、私は仕事に都合がないので15日間を予定。カミさんが香港に戻った後の7日間を子供たち2人と男3人のリゾートライフを過ごす予定・・・さて、どんな休暇になることやら。私が考えているプログラムは、子供たちは連日朝からプールとキッズ・プログラムへの参加。(加えて何か勉強でもさせた方がいいかな?) 私は読書に昼寝、そしてフィットネス。でもこんな単純なことで男3人の間がもつものなのか・・・今から不安。

Byタカ
   


2002年5月19日(日) アマさんに感謝

香港は3連休。昨日の土曜は夫が仕事、私は離島でガラス工芸、長男は友達とその家族とともにお出かけ、次男も同じマンション内の友達と行ったり来たりで、4人バラバラ。こんなことが可能なのも、香港には通称アマさんと言われる住み込みのメードがいるからです。本当に香港の今日の発展はこうした主にフィリピンからの労働力移入なくしては、ありえなかったのではないかと思われるほどです。
西蘭家の場合、アマさんは内助の功を果たしてくれるだけでなく、息子たちにとってもかけがえのない存在で、もしも彼らが良い大人になれたとすれば、アマさんからの精神的な影響がかなりあると思います。こうして思い思いのことができる日が一週間に1回はあるのも、彼女のお陰(それとご近所。本当に皆さんには頭が上がらないくらいお世話になっているのに、気がつくと離島行きの船に乗っている私って???)本当に、感謝。

Byみこと
   


2002年5月17日(金) 週末は香港で

月曜日から天津、北京へ出張し、今日戻ってきました。ここ1ヶ月の間に2回も中国系航空会社の墜落事故があり、今回の出張がまさしく中国系航空会社による往復だったので、心中あまり穏やかでなかったの事実。無事着陸した時は心の中で「あー良かった」と思いました。

実は今回の航空券を発券してから、「中国出張は今後ドラゴン航空を利用するように」という会社の通達が・・・早く言ってよ。会社が「最も安い航空券を利用するように」と言うから、最近はもっぱら中国系を利用していたのに・・・。

ところで私の勤める会社の北京事務所は大使館街にあり、3ヶ月ほど前に北朝鮮からの不法入国者が逃げ込んだスペイン大使館のそばにあります。度重なる外国公館への逃げ込みに業を煮やした中国政府は、なんと外国公館を有刺鉄線で囲み、また従来門の脇に直立に立っていた衛兵(武装警察官)は、門の2,3メートル前に立ち、いつでもタックルして阻止できる?ように周囲に目配りしています。ところどころ検問があり、タクシーで乗りつけると車を止めさせ、中を見渡します。幸い?朝鮮系の顔をしていないこともありフリーパスでしたが、会社に行くのもひと苦労でした。

香港は20日(月)が祝日なので明日から三連休。そして休み明けの火曜日から今度は上海へ行ってきます。これって週末だけ自宅に帰ってくる単身赴任者のような生活です。

Byタカ
   


2002年5月12日(日) 雨の母の日

今日は母の日。そして最近には珍しく、一日中雨模様の日でした。子供と夫のプールはお預け。私は朝から習いたてのアップルパイ作り。イギリス人のガレージセールでたった50香港ドル(約800円)で手に入れた新品のパイメーカーも試そうと、ポテトパイ作りにもチャレンジ。どちらもそこそこ上手くいってご満悦(前日の我が家でのケーキ教室でパイシートを置いていってくれた同僚に感謝!)。その間、子供たちはベイブレードを手に何回も出たり入ったり。朝ごはんより早くから遊びにきていた香港人の友達が帰ったかと思えば、今度は日本人の友達と家の中を走り回っているという状態で、それもつかの間、全員がつむじ風のように消えているという神出鬼没さ。何の予定もないこんな日曜もたまにはいいものです。しかも香港では貴重な緑への恵みの雨。さりげないけれど、とてもいい母の日でした。

10日には待望のユーミン香港コンサートに行ってきました。夫も私もかなり年季の入ったファンで、夫は「生きているうちにユーミンのコンサートに行けるなんて・・・」と感激の至り。私も「こんなにラッキーなことがあるなんて・・・」といまだに信じられないくらいです。コンサート前から「復習だ〜♪」と二人でアルバムを聞きまくり、夫はバイオでいろいろ編集しては出張用の"マイ アルバム"作りに勤しんでましたが、コンサート後もどっぷりユーミンです。多分、香港の日本人駐在員家庭の8割くらいが今頃、聞きまくっているはずですが・・・。

by みこと
   


2002年5月5日(日) 日曜日はプールが一番ラク

子供たち、両親ともに完全週休2日の我が家は、週末をいかに楽しく、経済的に、かつ親にとってラクに過ごすか、は毎週の命題です。土曜日は学校の疲れ、仕事の疲れを癒す、ということで極力それぞれが自由気ままに過ごすことになっています。私の場合はラグビーのシーズン中は試合、シーズンオフの間は午後からゆっくりフィットネス、というのがお決まり。カミさんはケーキ作りやら、ビーズ作りやら私より文化的な時間を過ごし、子供たちは近所の家の子供たちと適当に遊んでいます。まあアマさん(メイド)もいることから、両親は子供たちのことを気にせず自由な時間を過ごすことが出来ます。

ところが日曜日はアマさんが休みなので、子供たちをいかに楽しく健康的な(たまには文化的な)時間を過ごさせるか、を前日から考えます。これはどこの家でも同じだと思います。幸い、私が入っている会員制クラブのプールが先週末からオープンしたことを昨日知ったので、今日はここで一日中水に漬けて、ダシが取れるまで泳がしておこう、ということで、11時頃から4時頃までずーっと遊ばしておきました。

今日の気温は昨日同様30度を越える暑さで、子供にとっても親にとってもプールは手っ取り早い過ごし方で、同じような考え?の家族連れが多いのか、長男と次男それぞれの友人や、私のラグビーのチームメイトが適当にいたので、楽しい時間を過ごせました。帰る時に交わした「See you next weekend」という挨拶言葉が、これから9月末までの週末の過ごし方を暗示しています。でもプールが子供にとっても親にとってももっともラクな週末の過ごし方であることは確かです。

カミさんは「日焼けでこれ以上顔にシミを増やしたくない」という強い気持ちからプールはパスで、マレー人とかタイ人などとかく南方系にしか見られない私が、「また黒くなんなきゃいけないの」という思いを頭によぎらせながら、せっせと日焼け止めクリームを顔に塗りたくってから子供たちの待つプールへ向かっていくのです・・・。あー週末はやっぱりラクじゃない。

byタカ
   


2002年5月4日(土) スクール・フェア(学園祭)

今日は子供たちの友人が通うインター校 Quarry Bay School(小学校)のスクール・フェアへ行ってきました。日本流に言えばさしずめ"文化祭"に相当します。と言っても生徒たちの発表は非常に少なく、目的は学校での備品(図書やパソコンなど)購入資金を集めることです。中古おもちゃや古本など生徒たちの家庭から集めた不用品の販売と、お母さんたちが"日本食""韓国料理""インド料理"などそれぞれ持ち寄り、販売します。日本食コーナーではお稲荷さんやおにぎり、すし巻物など手軽なものを中心に、韓国料理コーナーでは串刺しにした焼肉、インド料理コーナーはやっぱり"カレー"や"サモサ"などどこも各国を代表?する定番ばかりですが、手料理(家庭料理)なのでこれがグー。特に家庭用鍋に入ったカレーなどは、もう見ただけでヨダレものです。

また面白いのは、ビールやワインなど酒類も販売しているので、ビール党であろう白人たちはもう真昼間からビールがんがん。子供たちの前で、小学校という場所で、親たちに真昼間から酒類を販売するなんて香港日本人学校では考えられない気もしますが、利益が備品購入資金に還元されることで良し、となるのでしょう。か、そこまでも考えていないか・・・。でも今日は30度をゆうに越えるほとんど真夏の暑さでしたから、やはりビールが美味しかった・・・。

我が家の二人が通うインター校も今日行った Quarry Bay School と同じ English Schools Foundation に属していますが、Quarry Bay School ではスクール・フェアが年3回、我が子達の Bradbury School では2年に1回程度しかなく、手伝いを面倒だと思う親たちには嬉しい限りですが、カミさんなどは普段学校行事に参加できない分、こうした行事には積極的に参加したいようで、「せめて年1回はあって欲しい」と言っています。

byタカ
   


2002年5月1日(水) 労働節

今日は労働節(メーデー)で香港はお休み。中国に返還されるまでは5月1日は休みではなかったのですが、中国では元々休みだったことから、返還後は香港も休みになったようです。その代わり?に、当然ですが植民地時代にはあったエリザベス女王の誕生日祝日がなくなったので、これでプラス・マイナスゼロということに。まあ休みが多いことは、労働者としてはうれしいものです。

今日は珍しく休日出勤をしてしまい、本当の休みになったのは午後3時過ぎから。パワーを持てあます子供二人を車に乗せ、数ヶ月振りに新界にある鉄道博物館へ行って来ました。でもいい加減行き飽きた感もあり、子供たちはベイブレードのバトルに熱中し、これだったらこんな所まで足を運ばないでも良かった・・・とも言えます。(実は久しくロングドライブをしていなかったので、私はとにかくドライブがしたかったのです・・・。)

帰りに家の近所にあるハッピーバレー競馬場に立ち寄り、そこで自転車とサッカーを小1時間ほど楽しませました。私の記憶では、日本では競馬場の中は競馬開催日以外は中に入れないはず(20年くらい前の中山競馬場はそうでした)ですが、香港の競馬場は一般に開放されていて、コースの内側はジョギングやローラーブレードを楽しむ人が昼夜問わずグルグル走っています。またサッカーやグランドホッケー、さらにラグビーのグランドがあり、試合で使っていない限り誰でも自由に遊ぶことができます。元々土の遊び場が少ない香港ですから、家の近所にこうした場所があるのは幸せです。それもあって、約9年間の香港暮らしの中でハッピーバレー暮らしが丁度半分になりました。

byタカ
   


2002年4月29日(月) フィットネス

2週間振りの月曜日の出社。月曜日または金曜日のいずれかは事務所に出社できるようにいつも出張スケジュールを組んでいますが、今週は中国のGWということで、今週は月曜日と金曜日のいずれも出社可能。これは結構珍しいことです。さらに来週の出張が中国のGWの絡みで延期になり、数ヶ月振りに2週続けてずーっと香港にいることに。

ということで、今週と来週は週3ペースのフィットネスを目標にしています。

フィットネスと言えば、3月中旬にシーズンも終わり、8月末からのトレーニング開始までは自主トレ期間なのですが、何故か合同自主トレが4月のイースター休暇明けから毎週月曜日の夜に行われています。この時期に「よーやるわ」と言いたいところですが、ちらっと合同トレーニング場所を覗いたらいるわ、いるわチームメイトが・・・来シーズンへの意気込み、というよりは、夏のプールシーズンを前に「人様に見せられるような体作り」を目的にしている感もあり。まあ真剣に運動することは素晴らしいことです。

かく言う私もこの時期にはちょっとハードな5キロランニングを3日前と今日行い、5月中は5キロ、6月は6キロ、というように1ヶ月に1キロずつ走る距離を延ばしていき、10キロを難なく走れるようにしたいと思っています。でも、真夏の香港で、仕事帰りに走る自分を想像すると・・・やっぱり無理な気もします。まあ、走ることが精神的なストレスにならない程度に続けられるように頑張ります。

byタカ
   


2002年4月28日(日) 子供たちとの週末

先週末は出張のため香港の家族ではなく、日本の家族(母だけ)との母子水入らずの週末でした。2年前までは父が健在でしたので、実家へ帰れば両親が迎えてくれましたが、1年半前に父が亡くなり、その後は帰る度に母の思い出話に耳を傾けるばかりになっています。

私にしてもカミさんにしても、それぞれの親が私たちが育った場所にいるので、「里帰り帰国=馴染みの場所」ですが、今後どこでどんな生活を送るかわからない我々は、将来親元を離れていく子供たち二人をどこで、どのように迎えることができるのか全く想像できません。今の人生設計では、その場所はニュージーランドの予定ですが、20年30年先となると想像できないですね。

昨日はカミさんの月いちケーキ教室の日でした。会社の同僚にケーキ作りを伝授してもらっていて、子供たちと私はそのおかげで手作りケーキを食べられることに。手間隙やコストを考えれば買ったほうが手っ取り早いのでしょうが、カミさんによればケーキ作りはニュージーランド行きの準備のひとつだそうで、何も準備をしていない私に比べれば、その計画性と実行力には頭が下がる思いです。私にはどんな準備ができるのかな・・・と考えてみると最も貢献的なアイデアが。それは移民ビザ申請までに、仕事を探しておくこと・・・。ビザ申請の条件を考えると、これが最も貢献であることは確かなようです。

今週は中国が労働節(5月1日)絡みで5連休になることから、中国担当の私はほとんど暇な状態になりそうです。香港も5月1日は休みなので、明日から2日間働いて休み、また2日間働いて週末に。もっとも理想的な一週間になりそうです。日本のゴールデンウイークほどではないですが、週の真ん中に休みがあるのはナントもありがたいものです。

byタカ
   


2002年4月24日(水) 9日ぶりの家族水入らず

先週の月曜日からの東京、上海10日間出張を終え、今日戻ってきました。「ピンポーン」と玄関のベルを鳴らすと、子供たちがダッダッダと走ってくる音・・・玄関を開けて開口一番「パパー、ベイブレードどこ・・・」。そう、お父さんはおもちゃの運び屋になっていたのです。でも、9日振りに子供たちとカミさんの顔を見たらホッとしました。「あー良かった。生きて帰ってこれて・・・。」。中国への出張が多いと、不慮の事故に巻き込まれる可能性が高く、仕事柄そうしたケースを日常的に耳にしていることから、人一倍?気を使っているのは事実です。

10日間の出張は、子供が生まれてからは始めての経験で、普段は月曜出発、木曜か金曜帰りが定番。週末に出張がまたがったことで、カミさんは大変だったようです。お疲れさん。そして、ありがとう。今週末は私が面倒見ますから存分に好きなことをどうぞ。

この10日間全く運動をしていなかったので、体もなまり気味。明日は会社帰りに軽〜くフィットネスしてくる予定。

byタカ
   


2002年4月14日(日) 臨時ペット、ハトの旅立ち

みことです。タカ独壇場の日記に切る崩しに入ったわけではないのですが、HPの写真ギャラリーにいきなり「元気になったハト」と3枚も写真を掲載しているタカに、「いくらなんでもそれじゃ、何だかわからないんじゃない?」と意見したら、説明をここでするように逆に仰せつかってしまいました。

実は先週末に子供たちがマンション内の遊び場で傷ついて羽を大量に散らしたハトを見つけて大騒ぎに。動物全般大好きなわたしはタオルと猫のケージを持って現場に急行。ケガといっても血が出てないのに、とにかく失っている羽の量が半端じゃない・・・。メチャ弱っていて、タオルで捕獲してもぐったりして嫌がる気配もなく、足で立っていることもできずタオルにくるまれたまま横たわって夜明かし。でもその後はあげたエサを撒き散らすほど回復し、キッチンのくず野菜まで食べて1週間ですっかり元気に。それで昨日晴れてケージから出してみました。

1週間ぶりのシャバがまぶしかったみたいできょときょとしながらトコトコ歩き始め、西蘭家一家もその後をついてトコトコ。ハトが止まれば私たちも止まり・・・途中窓越しにご近所と話したり、プールサイドではプールに水も入っていないのに、うちの上に住むテレビ俳優が日課の日光浴(真冬も続けていてホントにご苦労さん。努力の甲斐あって彼は天然ナイスガイ風で通してます)しているのに出くわしたり・・・。ハトはトコトコ彼の方へ。1.5メートルくらいのフェンスにも飛び乗れたし、大空をガンガン飛べるほどではないにしても木から木へぐらいは飛び移れそうなのでこれで生きていくには困らないでしょう。無事、任務完了。

今日はいつもお世話になっているご近所の子供二人を預かり、チュンホムコックというひっそりとした海辺に見つけた穴場BBQサイトで練習BBQ。眼下に広がる180度以上の海を見ながらジュージュー焼くのはもちろんニュージーランド・ビーフ。移住したらこんな週末が続くのかなぁ。

by みこと
   


2002年4月13日(土) 穏やかな土曜の午後

先週の土曜日に日本から戻ってから早1週間。この月曜日から子供たち2人は学校へ、両親は仕事へ。実母の死去で3月中旬からフィリピンへ帰っていたアマさんも先週末に戻り、西蘭家はいつもの生活に戻りました。

月曜日からお兄ちゃんと同じ学校へ通い始めた次男も、5日間の半日登校で少なからず環境に慣れたようで、来週の月曜日(15日)からは弁当持参の通常登校になります。日本でいえば4月から幼稚園の年長組の子供たちですから、いくら学校といっても勉強するわけではなく、お絵かきやゲームなど楽しい(ほとんどお遊び)毎日がこれから3ヶ月近く続き、9月から他の新入生も加わった本当の1年生になります。

この5日間はスクールバスに乗せられないことから、私が毎朝車で送り、アマさんか昼休みを利用してカミさんが迎えに行っていましたが、来週の月曜日からは往復ともお兄ちゃんと一緒のスクールバス通学になり、両親が夢に見た「子供2人が同じ学校へ通う」が実現します。とくにアマさんにとってはこのうえない喜びでしょう。なんせ子供たちが朝8時過ぎから午後3時ごろまでいないんですから・・・。我々同様、アマさんにとっても、この日を心から待ちの望んでいたことでしょう。


今は土曜日の午後3時過ぎ。つい1ヶ月ほど前まではラグビーの試合で午後は出かけていましたが、8月下旬に来シーズンに向けた合同練習が始まるまでの土曜日は、のんびりした土曜日になります。一応、毎週土曜日の午後2時間はフィットネスにあてる予定で、今日も5時ごろから3キロほど走り、約1ヶ月振りとなるウェイトトレーニングもやる予定。プールシーズンに向けて、人にお見せしても恥ずかしくない体にしておかないと・・・。でも、果たして継続したフィットネスをこれからさらに暑くなる香港で続けることが出来るのか・・・。

byタカ
   


2002年4月9日(火) ユーミン香港公演のチケットはインターネットでゲットだぜー

私には珍しいのですが、昨日、今日の2日間残業しています。明日もその気配が濃厚??? 理由は二つあります。一つ目の理由は、次男が昨日から学校に通い始めましたが、今週の金曜日まではスクールバスを利用できないことと、始業時間が9時半から、ということで、私が車で学校へ送りに行っています。さすがに迎えには行きませんが、9時半に送り届け、自宅に車を置きに戻り、それから会社へ。思いっきり1時間の遅刻です。(幸い、遅刻そのものは問題ありません。)二つ目の理由は、先週末に日本から戻ってきましたが、来週の月曜日から会議のため再び東京へ。その後直接上海へ飛ぶ10日間のチョー長い出張があり、その会議の資料作りやら突然の来客やらで珍しく忙しい状況です。そんなこんなで2日間連続の残業となったわけです。でも、会社から自宅まではタクシーで5分〜7分程度(タクシー代 HK$18(290円程度))なので、事務所の玄関を出てから10分後には家に着くことができますから、残業を苦と感じることは全くありません。しいて言えば、お腹が空く程度でしょうか。こうした職住間の移動が楽な香港に慣れてしまうと、日本では暮らせない・・・と思っている在住日本人は多いと思います。

ご存知の方も多いと思いますが、ユーミンこと松任谷由実の海外初公演が、5月10日(金)にホンハムの香港コロシアムで行われます。実は西蘭夫婦は大のユーミンファンで、発売されているCDはベスト版を除いて全て持っており、いつかユーミンのコンサートを・・・と夢に思っていました。実のところ、昨年10月の連休時に広島公演に行く計画を立てていましたが、子供を香港に置いて日本へ行く後ろめたさがあり、何故か広島公演がクアラルンプールへの家族旅行に変わりました。

ということで、ユーミンが香港にやってくることはビッグニュースで、今度はチケットをどう入手するかが課題になりました。ほとんどの観客は日本からのツアーであることは容易に想像でき、香港販売分の割り当ては相当少ないであろう、と読んだのです。但し、ジャニーズ系やチャゲ&飛鳥と違い、香港人には親しみのないミュージシャンということで、チケットは日本人間での争奪戦になるであろうことも想像しました。チケットの販売は13日(土)から始まるということで、当日は「並ばなきゃいけないのかな・・・」などとカミさんと昨晩話しましたが、そんなところに朗報が。ナント、12日(金)までインターネットで先行販売が行われているのです。決済方法はクレジットカードに限定され、チケットは郵送されてくるシステムです。

その情報をカミさんから入手した私は、すぐにそのホームページにアクセスし、難なく2人分のチケットをゲットだぜー。そのホームページはここです。VISA、MASTER、JCBのいずれかのクレジットカードを手元に置いて、すぐにアクセスしてはいかがですか? 尚、申し込みページで住所(香港に住んでいる場合は香港の住所を英語で記入)の下に電話番号を記入する欄がありますが、ここには必ず0から始まる日本の電話番号を入れます。香港の番号を記入すると、その後のクレジットカードにより決済が全て「ご利用できません」という結果になります。住所が香港で電話が日本?とは確かに変ですが、クレジットカード決済が日本の会社なので、電話番号は0から始まる日本の電話番号でないと承認処理ができないそうです。実は私は香港の電話番号を記入して申し込みを手続きを試みていたのですが、毎回「ご利用できません」となり、カード決済を取り扱っている会社に電話をしたら、日本の電話番号を記入してください、というアドバイスをいただきました。その会社によりますと、同じ問い合わせを今日だけで数回受け取っていたそうです。

さあ、ユーミンのコンサートへ行かれたい方は、すぐにでもここへアクセスしましょう。残席はあと??

byタカ
   


2002年4月7日(日) さあ明日から学校、仕事

昨晩日本から戻ってきました。たった9日間の里帰りでしたが、とても長い旅行だった気がします。これにはカミさんも同意見で、恐らく2月のニュージーランド旅行から間髪入れずに長めの休暇を取ったからではないでしょうか。この日記を読んでいる方は「なんでそんなに休めるの」と思われるかもしれませんが、香港は大変祝祭日の多いところで、特に旧正月とイースター(キリストの復活祭)は間隔が開いていないことから、このどちらも休む人は結構多いと思います。また、日本人学校ではなくインターナショナルスクールに子供を通わせている場合、旧正月もイースターも思いっきり学校休みになることから、この時期は最も休みを取りやすいのです。その反面、航空券料金はピークシーズン料金ですので高いのですが・・・。

とりあえず、休暇も終わり、子供たちは明日から学校へ、両親は会社へ・・・そして、次の家族旅行は8月に北京へ4、5日間程度の100%観光旅行を予定しています。

学校といえば、次男が明日からお兄ちゃんと同じESF(English Schools Foundation)のBrudbury Schoolへ通い始めます。実際にはこの9月から一年生になりますが、早く学校に慣れさせるため3月31日までに生まれた子供は4月1日以降に生まれた子供より早く入学できます。日本の教育制度ではこの4月から幼稚園の年長組の次男ですが、明日からちょっと早めの一年生です。但し、日本のような入学式(9月にもない)なるものはないので、親には「あー入学かー」という実感は全くありません。当初はあまり学校へ行きたくないような素振りを見せていた次男ですが、里帰り中から"学校"を意識し出し、今日は制服に袖を通して、明日へのテンションが相当高まっていることを感じました。頑張れ、新一年生。

そうそう、読者の方にはどうでもよいことですが、次男が今日始めて補助輪なしの自転車に乗れるようになりました。長男が7歳+2ヶ月目だったので、次男の5歳+2週間目の快挙は親としては非常に嬉しいです。ちなみに教えたの私でもなければカミさんでもなく、近所の仲良しの友達(次男よりひとつ年上)・・・持つべきものは近所の友達です。一時自転車にはまっていた長男は、最近はもっぱら近所の友達たちとのヨーヨーとベイブレードバトルにはまっています。香港では大ブームのヨーヨーも、発信地日本では既に過去の遊びのようで、旅行中にヨーヨーで遊んでいた日本人を一人も見かけることもなく、おもちゃ屋にもなく、昨日の成田空港で遊んでいる香港人をやっと見つけたほど。日本からあまり遅れていないと思われた香港も、実は相当遅れていた?ようです。

byタカ
   


2002年3月28日(木) ちょっと日本へ里帰り

明日から4月6日(来週の土曜日)まで、日本に里帰りしてきます。

明日は台北経由で名古屋に入り、そこから伊勢市へ直行。伊勢??? 西蘭家は、毎年春の里帰り時に伊勢神宮へお参りに帰ります。そこでこれまでの一年の無事をお礼し、かつこれからの一年の無病息災、家内安全、交通安全、その他もろもろのお祈りできることをお願いしてきます。それもきちんとお祓いまで受けてくるのです。

伊勢神宮通いはカミさんであるみことの提案で1998年の春から始まり、今回が5年連続の5回目になります。「なんで毎年?」と思うかもしれませんが、不思議と毎年行きたくなってしまうように引き付けられるのです。私たち夫婦は完全な無宗教なのですが、宗教を越えた何かオーラを感じさせてくれることから、帰国時の恒例行事として、それぞれの実家に帰る前に「先ず伊勢神宮」です。

また、里帰り時の「人間ドック」も恒例行事のひとつと言えることでしょう。自費なので結構な負担になりますが、「予防医学」を推奨する私は、早期発見、早期治療で長生きしたいと思っています。でも、占いでは私は79歳で、みことは72歳で逝くそうです・・・。

6日に戻ってきますが、それまではアップデートができません。里帰りの話は戻ってからのお楽しみに。

Happy Easter

byタカ
   


2002年3月24日(日) ラグビー週間も終わり

長かった?ラグビー週間も終わりました。香港での一大イベント「香港セブンス」は香港でラグビーをする者にとって、本当のシーズン終了を意味します。
昨日、今日はあいにくの天気で、特に今日の午後4時ごろから雨足が強くなり、最後の3試合はもうドロドロ状態でした。当然、ボールが滑ることからハンドリングが悪くなり、ハンドリングが売りのセブンスも少々大味な展開になった試合もありました。

さて、楽しみにしていたニュージーランドvsフィージーは、組み合わせの関係で準決勝に実現してしまい、これが事実上の決勝戦かと思われましたが、ニュージーランドに10対7で勝ったフィージーは決勝戦でイングランドに大敗を喫しました。個人的には大番狂わせでしたが、15人制の国代表を3名送り込んできたイングランドは、従来セブンスが持つ軽やかさとスピードに力強さを加え、予選からの全試合を圧勝という形で終わりました。イングランドが今後のセブンスシリーズに本腰を入れるようであれば、従来のニュージーランド、フィージー、南アフリカ、サモア、オーストラリアといった南半球中心の流れが変わることも考えられます。ここにフランスが加われば相当面白いと思うのですが・・・。

さて、日本は・・・もう情けないの一言。今日の試合は朝一番に対シンガポールだったことから、これは圧勝し、午後から応援しようと考えていたのに・・・そうです、なんとシンガポールに終了間際に逆転負けを喫したそうです。相撲で言えば、平幕が幕下に負けたようなもの。柔道で言えば、全国大会に出る選手が地区大会レベルの選手に負けたようなもの。ついでにラグビーで言わせてもらえば、社会人1部リーグのチームが大学2部リーグのチームに負けたようなもので、はっきり言って日本のラグビー史に残る汚点と言っても過言ではない、のではないでしょうか。まあ、予選3試合を見た限りでは、下位グループの優勝候補程度と思っていましたが、まさか予選最下位(24チーム中24位)のシンガポールに負けるとは・・・。

まあ日本のことはこれくらいにして、今回がニュージーランドのスーパースター、エリック・ラッシュの香港での最後の大会となりました。一昨年までのキレと言うかカリスマ的なゲームメーキングを見せる機会もなく、最後の試合は後半途中での交代でした。でも、私と同じ36歳でいまだ現役、かつニュージーランドの7人制ラグビーを16年も支えてきたその活躍は、やはり今年の香港セブンスの主役の一人であったことは間違いありません。来年の香港セブンスにはコーチとして来るそうです。我が家にある彼の直筆サインは家宝として代々?受け継がれていくことでしょう。

さあ、明日から仕事して、金曜日から日本へ帰ります。

byタカ
   


2002年3月22日(金) ラグビー週間は大忙し

一昨日、昨日の二日間、私がラグビーをしている香港フットボールクラブ主催の10人制ラグビー大会が行われました。7人制が国代表による大会であるのに対し、10人制はクラブチームによる国際大会で、今年も24チームが世界各地からやってきました。毎年香港セブンス(7人制ラグビー大会)の前の平日に行われ、そのまま香港セブンスを観てから帰る、というパターンです。

年々レベルが向上しており、ニュージーランドからのチームには元オールブラックス(国代表)がいたり、オーストラリアのチームにも元ワラビーズ(これも国代表)がいたりと、間近にトップレベルのプレーを見ることができるのはこの上ない幸せです。但し、レベルが上がりすぎたことから、昨年まで毎年参加していた、私の友人がいる日本のチームが、今年は参加を断られたそうです。理由は「過去3年間一勝もしていないから」だったそうです。

そんな大会であるにもかかわらず、観客席では子供たちが走り回り、大人たちはビール片手に談笑してばかり・・・およそ堅苦しささえある日本でのラグビー観戦とは大変な違いです。というか、日本ではプレーをする人も、それを応援(観る)人も"真剣"であることが求められ、香港のラグビー観戦は、要所要所のみを観てあとはひたすらビール片手に・・・。かくいう私も、次男を連れて二日間続けてビール片手にラグビー観戦。仕事が忙しいカミさんと柔道の練習のあった長男は今日の6時半頃から合流して、最後まで間近に見る迫力あるぶつかり合いを楽しんだようです。

さあ、今日からは香港セブンスだ。の前に、私は正真正銘の今シーズン最後の試合「香港フットボールクラブ・セレクト(私の所属するチーム) 対 香港セブンス観戦のついでに試合をしたい寄せ集め軍団」との毎年恒例親善試合をします。ということで、明日は有給取って一日ラグビーです。

話しは変わって、火曜日にアマさんが帰国したことで、火曜の午後から夫婦連係で子供たちの面倒と家事をこなしています。幸い、子供たちは午後まで学校があるので、私は半日のみ休みを取り、子供達の迎えとその後の面倒を看ています。明日は子供たちの学校が半日で終了することから、午後は私の試合に付き合せ、夕方からは7人制ラグビー観戦、土・日も7人制ラグビー観戦・・・。問題は子供たちが学校休みになる来週の月曜日から。何とかカミさんが友人宅に面倒を看てもらうことでやりくりしていますが、さあどうなることやら。そして金曜日からは日本へ9日間の「伊勢参り+人間ドック+里帰り」休暇です。

byタカ
   


2002年3月18日(月) ミニラグビーも終わり

昨日で今シーズンのミニラグビーが終了。これから9月中旬までの日曜日は時間を気にせずゆっくり寝られることができると思うと嬉しい限りです。と言うのも、ミニラグビーのある日曜日は、平日と変わらず朝7時ごろには起きなければならないからです。

長男にとっては3シーズン目、次男にとっては初シーズン、ということで、私は次男をメインにコーチとして半年間付き合ってきました。長男よりも1年早くラグビーを始めた次男ですが、やはり1年の違いは大きいようで、「この子はここで何をやっているんだろう」と思わせることばかり。もちろん、4歳も5歳も大差ないのですが、長男との1年のギャップは、理解力と体力という二点で劣っていたと思います。ただ、日曜の朝になると自分でせっせと着替えて準備をする次男は、「成長したなー」と十分に感じさせてくれました。あまりアテンションを払わなかった長男は、柔道で人へのコンタクトになれているせいか、接触プレーやタックルには臆することもなく、今日も強烈なタックルを見舞っていました。背も高く、あれでボールを持ったときの足が速ければ結構面白いのですが・・・。来シーズンへの課題として、もっと速く走れるようにトレーニングすれば、タックルができる長男は来シーズンに花咲く?ことになりそうな気がするのは親バカでしょうか?

話しはがらっと変わり、実はアマさんのお母さんが昨晩9時頃にフィリピンで亡くなりました。「危ない」とは数週間前から聞いており、イースターホリデーの時に帰国を考えていました。急遽明日にはフィリピンへ帰ることになったことから、明日から夫婦で子供たち2人の面倒を看ることに。日本では当たり前のことでも、ここでは普段からアマさんに相当頼っていることもあり、夫婦お互いの仕事のスケジュールを調整しながら、29日(金)に日本へ帰るまでの10日間をやりくりしなければ・・・。私は時間の融通が相当きくので、学校の送り迎えや帰宅後の面倒を看ることになります。もともと今週は10人制ラグビー大会(水・木)と7人制ラグビー大会(金・土・日)があるラグビー週間ということで、出張もなく、ほとんど仕事のスケジュールを入れていなかったのは幸いです。ちょっと早めのホリデー気分でこの困難?を乗り切る予定です。

byタカ
   


2002年3月16日(土) 土曜日は暇

先週でラグビーシーズンが終了したことは、前回の日記で書きました。私の唯一の楽しみ(予定)が終わった、ということは、今週から土曜日は暇になったということです。まあ、「英語のプライベートレッスンを受けよう」「今年こそピアノを始めよう」などいろいろと時間を有効に使うアイデアはあるのですが、9月末から来シーズンが始まることを思うと、中途半端になるようなことを始めるには躊躇してしまいます。さあ、何しよう・・・。

昨晩北京から戻って来ました。といっても、北京では3時間程度しか仕事をしておらず、今回は天津での仕事がメインでした。天津はトヨタ自動車が今秋から中国国内向け販売用の小型自動車の生産を始めることになっていて、現地での雇用も増え、街全体に活気があります。当然、所得も上向いていることと関係しているのか、マンション建設ラッシュの様相を帯びています。空から見る天津は、レンガ造りの建物が多かったことと、緑が少ないことから街全体が茶色く、また空気が乾燥していることもあり埃っぽく感じるところでしたが、4ヶ月ぶりの天津には白を基調とした新しいマンション郡が姿を現し始め、街全体の色が変わり始めていることを思わせます。大企業の進出は、本来の街の景観すら変えてしまう力を持っているのかもしれない、と思った天津出張でした。

今晩は旧正月に同じニュージーランドへ行った日本人家族を家に招待して、旅行の話を肴に楽しい夜を過ごす予定です。

byタカ
   


2002年3月9日(日) ラグビーシーズン終了

昨日の試合で今シーズンが終了しました。優勝を目指して3部リーグのGrand Championshipトーナメントに望んだにもかかわらず、まさかの2連敗で5位決定戦にまわってしまい、今日はうっ憤払いということで、全員が積極的に動き回り、29−0で圧勝。終わり良ければ全て良し、ということで最後は楽しい試合でした。

昨シーズンは4部で優勝し、3部に昇格した今シーズンはリーグ戦が3位、最後のトーナメントが5位という結果。来シーズンは今年以上の結果を残したい・・・でももう36歳だからもうフル出場は無理かもしれないな。でも、毎年同じことを思いながら、イースター明けからせっせとトレーニングを始めることになるでしょう。今シーズンはまさかの2トライを記録し、なにかと思い出に残るシーズンになったのは事実です。もう36歳、いやいや、まだ36歳。さあ、来シーズンに向けて、明日からの天津出張へはフィットネスの用意をしていくことしましょう。

byタカ
   


2002年3月3日(日) 早朝の日記

今は午前5時。何故こんな時間に日記を書いているのか・・・実は昨日ラグビーの試合の後にビールを浴びるほど?飲んでしまい、家に帰った6時半頃から4時ごろまで、夕食を挟んでぐっすり。(夕食の記憶さえ?マークがあるほど、頭は酔っ払っていた・・・。)ということで、いったん目が覚めてしまったら、再び寝付くことが出来なくなり、ホームページのアップデートを兼ねながら日記を書いている次第です。

金曜日までの5日間、上海と北京へ出張していました。北京は驚くほどの暖かさで、現地の人たちでさえ「今年は異常なほど暖かい」と言い、チャイナ・デイリーという英字紙では、エルニーニョ現象の可能性を指摘し、春から夏にかけて大洪水に見舞われる可能性があることを指摘していました。特に、開発優先の中国では、森林伐採などで自然環境が著しく破壊され、ここ2,3年前から植林が始まり、将来に備え始めています。こうした政策がいつの日か役に立つことでしょうが、あまりにも国土が広すぎるので、どこまで手を広げられるのかは難しいです。

話題は変わって、昨日の試合は負けました。前半は私のトライもあり12-10でリードして終わりましたが、後半はボロボロ。言い訳ではないのですが、試合のない相手の1軍選手5,6名が後半から加わり、試合の流れが一気に変わりました。相手の1軍は1部リーグの2位、我々と同じ3部リーグに所属する2軍は7位。我々は3部リーグの3位で、前回の試合では30点以上の大差で勝ったのに、今回は17-29で負け。まあ負けは負けということで、来週の今シーズン最終戦に勝って有終の美を飾りたいものです。

今日の日曜日は、子供達のミニラグビーの大会で、初めて次男の善も試合に出させてもらえる?ようです。残念なことに、長男と次男の試合時間が重なっているので、長男をカミさんが、次男を私が看ることに。本当は成長著しい?長男の試合も見たいのに・・・。試合後は、久し振りに飲茶に行く予定です。

byタカ
   


2002年2月24日(日) 7人制ラグビーのスーパースター

今日は7人制ラグビーのスーパースター、NZオールブラックスのEric Rushが、ミニラグビーの子供達を激励(見物)に香港フットボールクラブに来ました。ちょうどグラウンドの通路ですれ違った時にこちらから「グッド・モーニング」と声を掛けたら、こちらにも「グッド・モーニング」・・・かみさんは感動して、彼を追ってグラウンドに引き返し、子供のTシャツにサインをもらってきました。このTシャツは、本日から家宝になるそうです。例えは違うかもしれませんが、彼は日本のプロ野球でいえば「長島茂雄」、大リーグの「イチロー」並みのスーパースターですが、気さくな人柄がにじみ出ていていました。

実は今朝7時からStandard Chartered Hong Kong MARATHONの10キロ走にカミさんと参加してきました。九龍サイドのミラマホテルをスタートし、西ハーバートンネルをくぐり、湾仔までの10キロですが、予想以上に起伏があり、目標タイム1時間を5分ほどオーバーしてゴール。参加者が多いことから速く走れる状況ではなかったのですが、もうちょっと頑張れば1時間は切れたと思うので、それだけが残念。但し、一度も歩かなかったことだけは自分を誉めてあげたい?と思っています。というのも、昨日はのグビーの試合の疲れと体の痛みがちょっとだけ残っていたので、上りの坂道では結構足がパンパンになっていました。来年も10キロ走にカミさんと参加予定ですが、次回は目標タイム50分〜55分で走りたい。そのためには日頃のトレーニングもさることながら、カミさんのペースで走らないこと・・・つまり自分のペースでさっさと走ることでしょうか・・・。

明日から上海・北京へ5日間の出張です。そして土曜日はラグビーの試合、日曜日はミニラグビーの大会、とイベント続きです。上海・北京ともに例年より暖かいのは救われます。ということで、次回の不定期日記は3月2日以降になります。

byタカ
   


2002年2月21日(木) 帰ってきました、ニュージーランドから

12日間の旅行を終え、17日に香港に戻ってきました。オークランドから香港への出発が約2時間遅れたことから、香港の自宅にたどり着いたときは夜の11時(NZ時間の午前4時)。子供達は多少テンションが高かったものの、次男は即ベッドへ。ところが、長男は宿題を旅先へ持っていくことを忘れ(意図的か?)たことから、それから宿題をやるはめに。やっと午前1時ごろにベッドに・・・。ところがいくら香港が午前1時といっても、あちらはもう午前6時。なんと長男も次男も午前5時頃(あちらの午前10時)には目を覚ましてしまい、それからエンジン全開モードへ。つられて両親もその頃に目を覚ましてしまい、それぞれ会社、学校へといつもの生活に戻りました。でも、その後2日間ほどは、全員が時差ぼけに悩まされ、早寝早起きが続きました。

昨年のNZ旅行は北島だったので、今回は南島へ。実は南島へは香港へ転勤になる直前の9年前に10日間ほどカミさんと車で回ったことがあり、カミさんと「あそこに泊まったんだよね」とか「あそこでこんなことがあった」とか思い出話に花が咲いて?いました。でも、印象深かったのは、ほとんど9年前と変わっていないこと・・・但し、クイーンズタウンを除いて・・・。金融業界に身をおくカミさんは、9年振りのクイーンズタウンを「これはバブルだ・・・」と評していました。確かに、NZでは見慣れないラグジュアリーアパートや、ホテルが立ち並び、夕方には閉まっていたはずのお店が深夜まで開いている・・・ここはNZ?

書きたいことは山ほど?ありますが、今夜はこの程度にして、今後ゆっくりとNZ旅行報告をします。

そうそう、明日は私の35歳のラストデー。23日には36歳に。そして、23日からラグビーのグランド・チャンピオン・トーナメントが始まります。今シーズンも少なくて2試合、多くて3試合を残すのみ。何とかレギュラーとして全試合に先発していることが、今シーズンの一番嬉しいことです。誕生日には是非勝って、3月9日のファイナルへつなげたいものです。

byタカ
   


2002年2月5日(火) しばらくお休み

今夜の飛行機でニュージーランドへ出かけます。戻ってくるまで不定期日記はお休みします。旅の思いでは、2月18日以降に掲載予定です。

では、行ってきます。

byタカ
   


2002年2月3日(日) さあ、明後日からニュージーランドだ

今日は日曜日。ということで、朝9時から次男のミニラグビー、10時から長男のミニラグビーにそれぞれ付き合い、午後は香港島から船で30分程のラマ島へ。ラマ島はカミさんのビーズに関係しているところで、ガラス細工を教えてもらっている先生のショップに、カミさんの作品を展示販売してもらうことにしたそうです。個人的にはそこそこ売れると思いますが、さあどれくらい売れることやら・・・。

さて、ニュージーランド旅行も2日後に。実はいまだに何も準備していない状態で、この日記を書き終えてからカミさんと荷造りを始める予定。でも2週間後の日曜日には香港に帰ってこなければ・・・これを考えるとガッカリ。いつものことながら、荷造りは直前に、どこへ行くかは現地に到着してから考える、という我が家のスタイルは今回も同じで、現時点で手配してあるのはレンタカーと到着日のクライストチャーチの宿、その翌日のカイコーラ(90%くらいの確率でホエールウォッチングができる観光地)の宿だけ。その後はどこへ行くか未定。カイコーラを気に入ってしまえば、そのまま数日過ごしてしまうかも。これが我が家の旅行のスタイルです。計画好きの日本人には耐えられないことでしょう。カミさんの頭の中に「計画」という文字がないことが、計画好きの私の考えを変えたことは確かです。でも、子供が生まれてから、それも小さいのが二人もいれば、「計画」なんて「絵に描いた餅」であるのも確かです。そう考えると、結婚したことで、さらに子供がいることで、相当考え方と性格が変わりました。旅行なんて、パスポート、航空券とお金(クレジットカード)さえあればどうにでもなるのです。

byタカ
   


2002年1月31日(木) 今日で1月も終わり

つい先日初詣に出かけたと思ったら、今日で1月も終わり。ということは、始まったばかりの2002年の12分の1が既に終わりということで、1月31日にして時間が過ぎる速さを実感します。

この1ヶ月間を振り返ってみると、それなりに思い出すことは多い。それも仕事以外のことばかりを思い出すので、これはあまり思い出に残る仕事をしていない証拠かもしれないようです。と言っても、この月曜日から水曜日までの3日間の上海出張は、今年の私の仕事を占う重要な会議がメインでした。幸い実のある決定をいくつか引き出し、「これで障害は相当なくなった」という状況を1月に作り出せたことは、先行き明るいようです。
仕事の話はこの辺にしておいて、西蘭ファミリーは旧正月休みを利用して、2月5日(来週の火曜日)から17日までニュージーランド旅行へ出かけます。昨年の旧正月は北島を訪れたので、今年は南島へ。5日は夜便利用なので、南島のクライストチャーチに到着するのは6日の夕方。その晩はクライストチャーチに泊まり、7日にはホエールウォッチングができるカイコーラへ。そして、何と2月7日はカミさんと長男のダブル誕生日。私は、「誕生日のセッティングはよろしくね」というカミさんのリクエストに応えるべく、閑散としているであろうカイコーラの街でどんなアレンジをすることが可能なのか今から思案しています。来週の今ごろはニュージーランドか・・・。ということで、既に心は休暇モードに。

byタカ
   


2002年1月27日(日) 西蘭家に春

西蘭家に一足早い春が訪れました。

実は次男の善が、4月より長男が通うEnglish Schools Foundation(通称ESF)のBradbury Schoolへの入学を許可されたのです。西蘭家は純粋な日本人家族なのですが、将来的に日本への帰国を考えていないことから、日本語による教育を選択せず、子供達二人を幼稚園からインターへ入れました。ESFは、イギリス人向けの公立学校として香港で運営されており、日本人も「それなりの理由?」があれば、面接を経て入ることができます。幸い、長男の温は「それなりの理由?」と「これが試験?」というものをパスし、5歳から通い始め、次男も長男と全く同じ流れで多くのハードル(一番は英語力)を乗り越えました。ちなみに、ESFに入学してしまえば、日本の高校卒業に相当する17、18歳までストレートで行けてしまうので、西蘭家の子供達二人は、香港にいる限り、入学試験などを経験することなく大学入試を迎えることになります。

日本では小・中・高(プラス大)一貫教育高への「お受験」がはやっていますが、私もそれらへはしる親の気持ちが何となくですがわかる気がします。だって、長男も次男も5歳の段階で、今後12年間の学校生活が保障されているわけですから、親にしてみれば「受験」を考える必要が全くないので、精神的には楽です。もちろん、西蘭家には2006年までにニュージーランドへ移住するという予定があるので、今後12年間もお世話になることはないのですが・・・。

ご存知の通り、ニュージーランドは英語を標準語としているので、インター校で教育を受けている長男や次男にとっては、言葉の壁は両親よりも格段に低くなることでしょう。両親は、特に私は、外資系勤務なので毎日英語で「読む・書く・話す」をしていますが、すでに脳の硬化が始まっているようで英語力に限界を感じ始めており、長男よりも英語力が低い?状態になりつつあります。移住後は、子供達に通訳してもらうことになるのかな?という気もしなくありません。頼れるのはやっぱり子供?

byタカ
   


2002年1月21日(月) 久しぶりの客人

このままポカポカ陽気で冬が終ってしまうのだろうか、と思うくらい温かかった香港も昨日からぐっと冷え込んできました。旧正月(香港人が祝う旧暦のお正月で今年は2月12日)まであと3週間、不思議なことに毎年この頃が寒さのピークになります。旧正月は1月になったり、2月になったり毎年コロコロ変わるのに、天気のパターンだけはいつも一緒のような気がして不思議です。

9月末の引っ越し荷物がなかなか片付かなかった西蘭家ですが、年末年始に日本から友人一家が泊まりに来てくれたお陰で一気に片付き、先週末は別の友人一家を招いてのホーム・パーティーでした。こうやって書くと何だかしょっちゅう人の出入りのある華やかな家のようですが、全然そんなことはなく、家の狭さと、子供の小ささ、ひいてはネコ・アレルギーがある客人もいたりで、人とお会いするのは外ばかりでした。でも今回これまでの手抜きを深く反省、せっかく家も片付いたことだし、人様をお呼びできるくらいきれいに家を保つためにも、月一回はホーム・パーティと子供の友達のお泊りを続けよう…と固く誓った週末でした。2月からは同僚に先生になってもらってのケーキ教室も拙宅で開催する予定なので、本当に家をきれいにしておかなくては…。

by みこと
   


2002年1月20日(日) ミニラグビー

今日は日曜日。ということで、子供達の大好きなミニラグビーDayなのでした。子供達だけがラグビーを楽しむのは結構であるが、付添い人である私(先週は風邪でダウンしていたので、カミさんが付き添い)はコーチというか手伝いとして参加しています。

実は自分の子供がミニラグビーに参加したのは1999年のシーズン(1999年9月〜2000年3月)からですが、なんと私自身は1994年のシーズンからボランティアとして10歳以上の子供達のコーチをしていた筋金入りのミニラグビーコーチなのです。その当時私自身がプレーしていたラグビーチームの先輩から「日曜日暇だろ。ちょっとボランティアとして手伝ってよ。」という軽い誘いに乗り、気が付いたら2年、3年とシーズンを重ね、今年が8シーズン目。長男が始めるまでは、10歳以上の少年相手であり、それはそれで結構面白かったですが、自分の子供が始めることから一気に5歳コースに移ったら・・・そこはほとんど幼稚園。「幼稚園の先生達は大変だなー」が正直な感想でした。その長男も7歳になり、先週からはタックルの練習が加わるなど、ラグビーらしくなってきて、コーチをしているお父さん達も、さらには見ているだけのお父さん達にも力が入ってきました。

私には4歳の息子もおり、その子が長男のラグビー姿に触発されたのか、長男がラグビー大会の度にもらえるメダルが欲しいだけだったのか、長男よりも1年早くラグビーの世界へ。そして私は、今度は保育園状態のコーチへ。保育園に幼稚園。小さい子相手は疲れるけれどもかわいくて面白い。但し、週1時間程度のお付き合いが限界かもしれない。いまさらありえないが、私は保育園も幼稚園も、さらに学校の先生などには絶対に向いていないのは少なくとも確かなようです。来週の日曜日もミニか・・・。

byタカ
   


2002年1月18日(金) 花金

週初めの月曜日、火曜日を休んだこともあり、あっという間に花金。もともと出張の週だったので、3日間会社に行ったが本当に暇でした。おまけに来週もずっと香港にいるので、月曜日からの5日間を会社でどのように過ごすかを考えておかないと・・・。こう書いていると窓際族のように思われるかもしれませんが、確かに窓を背に仕切られたスペースに一人でいるのは事実。上司は・・・香港を含む中国全体のトップだけ。部下は・・・なし。確かに窓に近いスタッフではある。しかし実態は、大きな収益源を開発、管理する大黒柱・・・これ本当、かな?。

実は前回の日記に書かなかったのですが、先週携帯電話をタクシーの中に置き忘れてしまいました。会社から支給されているもので、家族とごく少数の友人しか番号を知らないことから、特に携帯電話がなくて困ったことはなかった。逆に、全く携帯電話を気にする必要がなくて、楽なくらいでした。日本では携帯電話なしでは生きてゆけない症候群の方々がいるそうであるが、私自身はあまり人との密な関係を好まない、わりと一人でいることを好むので、日本の携帯電話症候群の方々を理解できないくらいです。まあ、それはおいといて、心優しい会社は、電話機をなくした私のために、今香港中で最も安く売っている、誰も好んでは買わない機種を買ってくれました・・・。でも、会社が買ってくれなかったら、私が全く同じものを買おうとしていたのも事実。会社もケチだけれども、私も同じほどケチ。

byタカ
   


2002年1月15日(火) 病から復活

9日ぶりの日記。これぞ不定期日記である。この9日間、「食う、寝る、遊ぶ」をしていたわけではないので、どこから書くか、何を書くかで正直言って迷っています。

簡単に9日間を振り返ってみると、7日は年明け初めてのラグビーの練習、8日は翌日からの出張の関係でちょっとだけ忙しく、9日〜11日は上海へ出張、12日は風邪の兆候が十分に出ていたにもかかわらず1ヶ月ぶりの試合にフル出場。格上相手に残り15分までは11-0で「勝てるな」、の矢先に2連続トライを奪われて11-14の逆転負け。油断大敵を悟った試合でした。
それからが大変。試合が終わったとたんに疲れがどっと出、熱いシャワーを浴びても「あれ、お湯が出ないの?」という感覚。普段ならチームメート達とビールを飲みながら次の試合を観るところだったけれども、ちょっと「やばいな、これ」という気持ちが頭にこみ上げ、真っ直ぐ帰宅。すぐに熱を測ったら38.6度。「あーこの程度か」との安堵もつかの間、昨晩までの2日間は最高は39.6度、最低は34.5度というアップダウンの繰り返し。もちろん病院へも行き、抗生物質をはじめ各種薬をもらったものの、肝心の解熱剤がない・・・ない・・・ということで、子供の座薬を拝借。子供用だから2個(2倍)使ったら、39.6度から34.5度へ急降下。数時間で5度近くも体温が下がったので、さすがに体もお疲れ。そうしたらまた体温は39度を目指して上昇し、また座薬のお世話になり・・・の繰り返し。挙句にカミさん(みこと)から「子供用の座薬なんだからもう使わないで」とのお叱り。確かに座薬のパッケージには「幼児用」とあり、大人が使うにはちょっとためらいはありました。

とりあえず、座薬の効果と会社を2日間休んだ効果で今日の昼頃には完全復活宣言。実は座薬処女(そんな風に言うのかな?)だったので、あんな小さなものを肛門に入れるのに躊躇したのは確かであるが、すんなりと奥まで入れられたときの感動は大袈裟ではあるが不思議な体験だった。そんな貴重な体験ができた病であった。

ちなみに、39度以上の熱を出したのは8年振り、病欠も8年振り、今の会社では初めての病欠。そして、14日から5日間の出張をドタキャンというおまけ付。日系企業じゃ許されないかもしれない・・・。

byタカ
   


2002年1月6日(日) 大帽山郊野公園へピクニック

今日は子供たちの冬休み最後の日曜日。特に冬休みだからどうこうはないのですが、来週の日曜日からはミニラグビーが始まり、次男は9時から1時間、長男は10時から1時間半、お父さんはそれぞれのコーチとして参加しているので、9時から2時間半も子供たちのラグビーに付き合うハメに・・・。練習の後は、いつもビールを飲んでしまい、家に帰ると急に昼寝がしたくなる、というのが大体のパターン。ということで、当分はみんなでピクニックに行くこともなさそうなので、今日は九龍にある、香港で一番高い山へ行ってきました。

その山は大帽山(Tai Mo Shan)といい、実はカミさんから聞くまで、香港で一番高い山だとは全く知らなかったのが本当のところ。ここは、年末に行ったKardoorie Farmのすぐ近くにあり、自宅から道さえ間違えなければ40分ほどの所。車があれば、結構郊外のピクニックポイントに簡単に行けてしまうのが香港の良いところ。おにぎりを用意して家を出たのが昼前。眺望の良いところでおにぎりを食べ、ゆっくりとした足取りで駐車場から頂上の往復に約1時間半、そして家に戻ってきたのが5時半頃。ほどよいドライブ+ピクニックは結構楽しいもの。今日のピクニックの写真は、galleryにあるので読んだついで覗いてみて下さい。

byタカ
   


2002年1月3日(木) 初日記 byみこと

男(オットのタカのこと)がすなる日記といふものをしてみむとてせなり…と突然、日記に参加する、みことです(紀貫之はニセモノだったけど、これはホンモノ)。

私にとって日記とは甘く切ない夢のように、はたまたダイエットや通信教育のように、決して長く続かないものでしたが、今回はホームページ内だし、夫婦の共同作業だし、不定期だし、一応読者もいる(はずな)ので、細く長く続けられるかも…とまたまた甘く切ない夢を見ることに。しかし、こんな私でも、オットの力を借りて唯一続けられたことが一つある。それは「禁煙」。彼が大のタバコ嫌いで、ズルズルと止められなかった私の喫煙をきっぱり止めさせてくれたのです。なので、もしかしたら、ひょっとしたら…この日記も続くかも。まあ、くどくどした長い話は、近々開始予定のメルマガ「西蘭花(中国語でブロッコリー)通信」にでも。

by みこと
   


2002年1月1日(火) Wishing you a Happy New Year

香港で迎える9回目の正月。いつものように、テレビを見ながらのカウントダウン、初日の出、家で食べるお雑煮とおせち料理、初詣・・・まるで日本にいるのと同じような、もしかしたら日本にいる日本人でもそのすべてを元日にこなす事はできないくらいのハードスケジュールを恒例行事のようにこなしています。毎年思うのですが、1月1日だけは完璧に日本人になっています。
初日の出は、97年に車を買ってからの恒例になり、今日もピークまで行き、いままで行ったことがないポイントへ足を伸ばして、いままで見たことがないようなはっきりとした日の出を拝むことができました。

今年一年、世界が平和で、人々が楽しい生活を送れるように願っています。

by タカ

   


2001年12月31日(月) えっ、今日はもう大晦日

今日は仕事でした。クリスマスが連休だったので、ここ一週間は飛び石連休状態。明日は祝日ですが、1月2日からはまた仕事。こんな生活が今回で13回目。日本での正月の過ごし方をすっかり忘れてしまった。

日本に住んでいた時は、「さあ来年は・・・」などと大掃除をしながら考えていたけれども、こちらでは「明日休んだらまた仕事か・・・」というように、1月1日が特別な日ではなく、365日の中の単なる一日という感じ。やはり、ここは旧正月のところなんだろう。そして、年末年始にどこへも行かなかった我が家は、2月5日から17日までニュージーランドへ2年続けての旅行へ。

byタカ
   


2001年12月30日(月) 2001年も残すところ2日のみ

中国暦の正月(旧正月)を祝う香港では、新暦の正月はさしたる意味はないようで、どちらかと言うと、クリスマスを街全体で祝ったその疲れを元旦の祝日で癒すようなものです。ですから、大晦日も会社はあり、1月2日から平常通りの生活に戻ります。

24日の夜から我が家に滞在していた友人家族は、旦那が今日の夜に日本から合流することから、今日から帰国する1月4日まではホテルに滞在。我が家の息子たちと飽きずに遊んでくれていた11歳のお姉ちゃん(モモちゃん)は、遊び相手がいなくなることから涙を浮かべながら我が家を後にしていました。息子たちは・・・特に悲しむこともなく、近所のお友達と思いっきり4時間近くも遊んでました。

byタカ
   


2001年12月25日(火) 今日は香港の祝日

香港で暮らしていて嬉しいのは、12月25日と26日が2連休の祝日であること。これはイギリス植民地時代からの慣わしで、中国に返還された1997年以降もその慣わしは引き継がれています。ちなみに、中国では単なる平日なので、今日も明日も祝日ではありません。

昨晩からカミさんの友人家族が我が家へ泊まりに来ており、今日は午後からピークへ散歩へ。この友人家族こそ、1年半前に飼っていた亀2匹を我が家に託して日本へ帰国した家族で、話では来春には再び香港に戻ってくるらしい。我が家の子供たちにとっても、我々夫婦にとっても賑やかな生活が戻りそうな気配。

by タカ
   


2001年12月24日(月) ついに我が家のホームページが人様の目に

カミさんからの「私へのクリスマスプレゼントにホームページを」という安上がりな、けど面倒なリクエストに二つ返事でOKをしたのが11月中旬。1ヶ月あれば余裕だろうと、のんびり構えていたら、12月に入ってから出張の連続で思うように進まず、22日、23日の2日間で根詰めて一気に、むりやり完成に。これからホームページ制作の勉強をしながら、このホームページを完成させていきたいと思っています。

by タカ

   


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