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Vol.0055 「NZ編」 〜半旗のもとで〜

9月11日。朝6時。天気、雨。台風上陸の目前で、いつにも増して静かな朝でした。外の車の通りも普段より少なく感じられ、香港の気象台に当たる天文台のホームページに行くと、「シグナル3」の表示。3の次は「8」で、これになると学校も仕事も休みになります。なのでちょっと期待を込めてのぞいてみたのですが、そんなに簡単に「シグナル8」は出ません。「3か〜」と、家族がまだ寝静まっている中で一人つぶやき、出勤準備をしながら、いつのもようにニュージーランド・ヘラルドのサイトをのぞきに行くと・・・。

"Flags at half-mast over harbour bridge"という見出しでオークランドのハーバーブリッジの写真。橋の中央両側に、星条旗とニュージーランドの旗がそれぞれ半旗で掲揚されています。それが私にとっての、ニューヨーク同時多発テロ1周年の一日の始まりでした。その小さな写真にどれほど心を動かされたことでしょう。記事を読み始めずとも、「これがキウイたちなんだ」と、体の中に静かに静かにしみわたっていくような感動を覚えました。

その日は1日中、記念行事や特集をテレビ、新聞、インターネットで目にし、翌日も世界のあちこちでの式典の様子を伝える続報を見聞きしましたが、やはりあの静かな朝に一人で見たハーバーブリッジの写真が忘れられません。派手さはないけれども、海に架かる橋の上という意外な場所に掲げられた半旗が、自分の気持ちに最もシンクロするものだったように思います。しかも、その後に写真が差し替えられ、星条旗の下に女性が立っているものに代わってしまったため、私が最初に見た両国の旗が写っているものはなくなってしまいました。ですから一層印象が強まったのかもしれません。

コミットメント・・・。キウイに出会い、この年にして初めてその真の意味するところを知った次第ですが、彼らのやり方はいつもこんな風にさり気なく、しかし心を込めたものなのです。それがゆえに印象深いものとなり、いつまでも幸せな記憶として残ります。それがとても自然だからこそ、人を想い遣り、痛みを分かち合いながら暮らしている普段の生活が偲ばれます。知らない人とはかかわらず、個で生きる都会的な生き方とは対極をなす、人と人とがこんなに近く寄り添った暮らし。その温かさを知った時、親しい友人とだけはぬくぬくと、でもそれ以外では寒々と生きてきた自分に気がついたのです。

ワールドトレードセンターの2,801人、ペンタゴンでの犠牲者、ハイジャック機の乗客として、最愛の人を亡くした家族や友人にとって、一周年記念日は心からの哀悼の意を捧げる日であって欲しかったことでしょう。しかし、実際はこの日にかけて周囲がとたんにきな臭くなり、どんな軍事行動をもこの犠牲者を口実に正当化されかねない勢いであることを、個人的にはとても残念に思っています。無念にも命を落とした人にとって、願うことは終わりのない報復の応酬よりも、それがどんなに困難な道であっても、この不幸を決して無駄にしないための、真の解決ではなかったのかという思いが募るばかりです。

バンクス・オークランド市長は追悼式典で、「世界に知って欲しい。我々が南太平洋から哀悼を捧げていることを。そしてアメリカのみなさんに知って欲しい。悲しみにくれるあなた方を、我々が心から称えていることを」(原文:I want the world to know that we here in the Southwest Pacific care, and I want the North American people to know that we honor their grief)と呼びかけていました。 Care &Honor。そこには私達がとっくの昔に葬り去った"まごころ"という言葉が息づいていました。

テロの犠牲者と大切な人を亡くされたすべての方に心からお悔やみを申し上げます。そして、アフガニスタンでも同じようにたくさんの人たちが愛する人どころか生活のすべてを失っていることを忘れずにいたいと思います。今はイラクで同じ不幸が繰り返されないことを祈るばかりです。不幸で不幸が癒されることは決してないはずですから・・・。

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「マヨネーズ」 「あら、するわよ。そういうことって・・・」と、元息子の担任で今ではすっかり友人になってしまったキウイの彼女は、大きなカップでカフェラテを飲みながら、事もなげに言いました。私が「オークランドで銀行強盗に殺された行員の葬儀に多数の市民が駆けつけたという記事を読んで、とても驚いた」という話をしていた時のことでした。彼女にしてみれば市民が駆けつけたことにはさほど興味はなく、たまたまそのニュースを知らなかったので、「どこの銀行、どこの支店??」とそっちの方が気になるようでした。

「だって、NZって小さい町が多いじゃない?だから何か気の毒な人のことを新聞で読んだら、イエローページを見れば簡単に電話や住所が調べられるでしょう?そしてカードを送ったり、花を届けたり、けっこうあるわよ、そういうの。」と、「それがどうかした?」と言わんばかり。「でも、それってかなり特別なことだと思わない?香港でそんなことってある?」と、私がなおも食い下がると、さすがに彼女も「そ〜ね。確かにここじゃしないわね〜」と、ちょっと同意してくれました。電話帳を調べたり、カードを書いたり・・・その"ほんのちょっと"が、まさにコミットメントなのです。

日本で事件に巻き込まれて亡くなった男性のところに見知らぬ女性が駆けつけてお悔やみなんて言ったら、問題の種を撒きに行くようなものではないでしょうか?井上靖の小説に「通夜の客」というのがありましたが、まさにそれになりかねない。その話をすると、彼女はゲラゲラゲラゲラ・・・。私も早く余裕で笑う側に回りたいものです。

西蘭みこと