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Vol.0062 「NZ編」 〜扉の向こう側 その2〜

1840年2月5日早朝。マオリたちはワイタンギの芝生の上に集まり始めた。ことの外晴れた日だった。カヌーがあらゆる方角からワイタンギに向かって来るのが見える。どのカヌーの中央にもカイトゥキ(カヌーシンガー)が立ち、漕ぎ手たちが一定のリズムで調子を合わせられるよう、唄と踊りで盛り上げていた。芝生の上には大きな旗が掲揚されたテントが張られ、ユニオンジャックが誇らしげに翻っていた。すべてが活気に満ち、喜ばしく見えた。

総督代理としてイギリスから派遣されていたホブソン大佐がスピーチし、条約の内容と、なぜそれが必要なのかを説明した。多くの有力酋長たちは条約に反対した。パケハ(マオリ語で"白人")が毛布、パン、銃、病気を持ち込んでくる以前の暮らしに戻りたいと主張する者もあった。新しい政府が成立したら、マオリの威厳が失われ、虫けら並みの存在となり、奴隷のようになってしまうという意見も出た。タレハ酋長は乾燥したシダの根の束を掲げ、舶来品に魅了されているマオリを嘲笑し、太く力強い声でパケハに向かって叫んだ。「帰れ。とっとと失せやがれ。我々を服や食料品で手なずけられると思っている奴らめ。見ろ!これが我の、先祖からの食べ物だ!」

しかし別の酋長であるタマティ・ワカ・ネネはワイタンギ条約に反対する者に向かい、白人たちを追い払うには遅過ぎると訴えた。条約に調印したくないのなら、一世代前に貿易商たちを本国に追いやるべきだったと言い、ホブソンに対しここに留まり、マオリの文化と土地の所有権を保護し、奴隷とならないよう救って欲しいと呼びかけた。そして、「留まってくれ。我が友よ、父よ、総督よ」と、非常に劇的に叫んだのであった。("The Story of New Zealand"リード出版より)

ニュージーランド建国の礎となった、ワイタンギ条約調印の1日前の様子です。イギリスはホブソン総督代理を送り込んで条約をまとめ上げ、マオリの各部族の酋長たちに対してイギリスが北島の主権を獲得し、当時のビクトリア女王に対して彼らの土地を買う権利を認めるよう迫ったのです。その代わり彼らの土地や不動産所有権が法のもとで保障されるという趣旨でした。

これに対し、伝統的な民族衣装に身を包みワイタンギに集った酋長たちの反応は、当然ながら反対が大勢を占めました。しかし、前日の話し合いを経て、翌6日には反対していた者も含めほとんどが条約に調印するところとなりました。ただし、数々の問題が残されたのです。当時のマオリには法や契約という認識がなく、何に対して同意したのかということが不明確だった上、はなはだしいことには条約のマオリ語版と英語版の内容が微妙に違うなど、調印は彼らにとって明らかに不公平なものでした。それもそのはずで、土地所有に大きな利害関係を持つイギリス側有力者がマオリ語の翻訳版を作成し、ホブソンも問題に目をつむって調印を急がせたのでした。 しかし、"The Story of New Zealand"には、「それにもかかわらず、条約はすべてのニュージーランド人に対し重要なものであった。にわか作りで、混乱した不明確なものであったとしても、それには重要な一面があった。それはホブソン自身が、習得した数語のマオリ語"He iwi tahi tatou(我々は一つの民族)"の中に込めていたものであった」と、あります。

NZ移民局のホームページには、"ワイタンギ条約"というページがあります。外のページがすべて移住に関する事務的なことを事細かに説明しているので、この1ページだけかなり趣向が違って見えます。条約成立の概略説明の後に、"ワイタンギ条約と移民"という一項目が設けられており、「条約はマオリとパケハの間での最初の移民契約と認識されている。条約は元来、入植者によるイギリスの主権のもとでの平和裏なNZ移住と、マオリの人々の権利を保護するためのものであった」とあり、移民局がこれを「"我が国の礎の書"と見なしている」ともあります。最後は、「当局は移民が我が国にもたらす社会的、文化的、経済的恩恵を重要視しており、こうした恩恵は他のニュージーランド人と分かち合われることになろう」と結んでいます。

移住に必要なポイントである"パスマーク"が今月7日より30ポイントに引き上げられ、移住希望者にとっては一段と厳しい状況ではありますが、移民関連の事務的な文書の行間にまで、移民者受け入れへの強い意志を感じてしまうのは私の買いかぶりでしょうか?しかし、移民政策が"ワイタンギ条約"に端を発しているのは間違いなく、その後の建国の歴史に携わった移民やその子孫が、自らの成功体験をもとに移民の重要性を認識し、後に続く者に道を残そうとしているように思えてなりません。そうである限り、いくら狭められても移民への扉が完全に閉ざされてしまうことはなく、全世界に向けて開かれ続けていくことでしょう。(多分、つづく)

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「マヨネーズ」 9月の新学期から息子たちの通うイギリス系インターナショナル・スクールにキウイの先生が何人かやって来ました。そのうちの一人は低学年全般を担当する女性の先生で、西蘭家同様に1年生と4年生のご子息が同じ学校に通っています。ご主人もご子息も当然ながらラガーで、狭い香港、さっそく学校でラグビーでと、あちこちで顔を合わせることに。彼らが香港にやってきたのは奥さんの赴任のためで、夫は今のところ専業主夫です。でもこれから会社を立ち上げて今までのキャリアを活かした仕事を始めるんだそうですが、その仕事がな〜んと、人材派遣!「誰をどこに派遣するの?NZ行きもあり?」と、思わず気色ばんで身を乗り出してしまうところ。早く起業してね〜♪

西蘭みこと