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Vol.0070 「香港編」 〜11月の記憶〜

人は11月を記憶しない。実り豊かな10月と、慌しくも賑やかに過ぎて行くきらめく12月の間にあって、寒さが一層身にしみてくこの月は無表情のまま足早に過ぎていく・・・。

いつか小説を書くことがあったら、こんな書き出しで始めてみたいと思っていましたが、そんな機会はないまま長い時間が過ぎました。でも私は11月がとても好きです。秋と冬の狭間にあって日を追うごとに寒くなっていく中、身が引き締まっていくような冷たさと清らかさが漂う静謐な月。それはまた忘れられない月でもあります。表情に乏しいその月に一生忘れ得ぬ思い出があります。私はこの月にサイモン・イップを失くしました。

彼が私にとって何であり、何と呼べばいいのかわかりませんが、13年も前の広告代理店に勤めていた頃の取引先、いわゆるお客さんでした。個人的なお付き合いは全くなく、友人と呼べるほど親しくしていたわけではありません。ただ、出入り業者として毎日のように先方のオフィスに通い、実際に話をするのは日本人の現法社長ではあったものの、サイモン他、香港人スタッフとも雑談交じりに仕事の話をするのが常でした。

サイモンは数十人のセールス部隊を束ねる若手のホープで、彼の席の周りには粋なスーツに身を包んだやり手セールスマン達がいつも集まっていました。夕方、彼らが外回りから帰って来る時間に行き合わせると、大柄で色白なサイモンを囲んで周りに人の輪ができ、彼はいつもその中心にいました。まるでそこだけ陽だまりのように輝いて見えるのです。錯覚でしかないのでしょうが、何度もそんな光景を目にしました。まるで、「どこから光が来るんだろう?」と子供の頃に、飽かずに眺めたレンブラントの絵のようでした。

私も輪に入り込み、ライバル会社の話や展示会の打ち合わせなど仕事の話から、どーでもいいおしゃべりにまで加わって、ワイワイやって社に戻りました。ほとんどみんな独身か、結婚していても子供のいない20代後半の若い仲間で、「とにかく仕事しよう!」という、前向きなエネルギーに満ち溢れていました。サイモンも30歳前後で、結婚数年目の充実した頃だったはずです。人望が厚く、誰からも一目も二目も置かれていましたが、本人はとても謙虚で、穏やかな人でした。

彼はいつも聞き役でした。会議でもニコニコしなが生きのいいセールスマン達の問題、愚痴、文句、手柄話、ホラを聞き、彼らにさんざん言わせたところで、「じゃ、どうしたらいいかなぁ?」と、穏やかながらもいきなり水を向け、言いたい放題の彼らが上り切ってしまったところで、そっとはしごを外します。その手練手管は見事なもので、人を束ねていくとはこういうものなのかと、いつも感心させられました。その風格は誰もが認めていたところです。

そんな彼の姿がある日突然オフィスか消えました。「歯茎から出血して止まらない」という以外、病状も分からないまま面会謝絶で数ヶ月が過ぎました。そのうち「白血病」という身も凍るような病名を誰からともなく知らされました。まさか。あの太陽のように明るく温かだったサイモンが?誰もが信じられず、絶対に信じたくない現実でした。入院が半年を過ぎた頃、彼から社長宛に一通の手紙が届きました。

そこには病状や闘病生活、すべての蓄えを遣い切ってしまった事、しかし実兄から骨髄移植を受けることになり、香港ではできないのでロンドンまで行って手術を受ける旨がしたためてありました。「ひいては恥を忍んで資金的な援助をお願いする次第です。できることはすべてし尽くし、本当に万策尽きてのお願いです」と、彼らしい率直な思いが、見事な達筆の、完璧な英文で書かれてありました。本当に彼そのものが透けて見えるような、それはそれは美しい手紙でした。

手紙のコピーをいただくと、私はカンパを募るために飛び出しました。何も説明する必要はなく、手紙がすべてを語っていました。同僚はもちろん、彼を知らない友人や知人でさえも、それに目を通しただけで財布を開き、小切手を切ってくれました。「この人を失ってはいけない」そんな思いがさざ波のように広がっていったのです。その一方で、会えないとはわかっていても、私は同僚と彼の入院先を訪ねてみました。やはり面会謝絶で持って行った花ともども帰るしかありませんでした。古い病院のきしむ廊下を歩きながら、「絶対ロンドンに行かせてあげるよ」と強く誓うのが、その時の私にできた精一杯のことでした。

1989年11月。お兄さんと二人分のビジネスクラスの飛行機代と手術代、入院費は心もとないけれど、「とにかく行ける!」というくらいのカンパが集まりました。でもサイモンはロンドンには行きませんでした。出発の矢先に行き先変え、1人で旅立っていってしまったのです。インディアンサマーの陽だまりはいきなり木枯らしに包まれて見失われてしまいました。彼を知るすべての人の心に霜が降り、お互い潤んだ瞳を交わすだけで言葉もありませんでした。失って初めて分かった、生まれて初めての喪失感。それは私にだけでなく他の仲間にとっても同じだったことでしょう。残るのはただ哀惜ばかりでした。

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「マヨネーズ」  あの後すぐ、セールスマンの一人がカナダへ移住し、一人はライバル会社に転職しました。私も直後に辞表を書き、2ヶ月後には仕事を辞めてシンガポールに移るため香港を離れました。みんなたがが外れたように散り散りになってしまいましたが、あの11月は今でも彼らの心に生きているはずです。駆け抜けていった若い季節。今月は没後13周年。合掌。

西蘭みこと