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Vol.0086 「香港・生活編」 〜ガラスの方舟〜

早朝の誰もいないオフィスで一人で仕事をしていると、顔見知りの管理人のおにいさんがやってきました。普通、「管理人」とくれば「おじさん」と続くのが一般的ですが、彼はその職業にしてはかなり若く、どう見ても30代前半でした。かなり明るくした茶髪は、色白で華やかな印象の彼には似合っていましたが、お固い制服には不釣り合いで、管理人という仕事をしている彼の不自然さを象徴しているようでした。彼は香港では一般的ながら、私が話せない広東語だけでなく、中国の公用語である北京語(いわゆる中国語)にも堪能だったので、私達は時々、中国語で世間話をしていました。

「オレ、会社辞めんだ」と、ニコニコしながら出し抜けに言われました。敬語のない中国語ですから、直訳すれば彼のセリフはこんなところです。「辞めるって、いつ?」、「今日だよ」。びっくりしている私を、いたずらが上手く行った時の子供のように可笑しそうに見ています。前々から彼が転職を希望していたのは知っていたので、「仕事、見つかったんだ、良かったね」と答えると、「見つかんないさ。何年たっても中国出身者と言っちゃ馬鹿にされ、ここじゃロクな仕事がないんだよ。だから上海行くんだ、オレ」。満面の笑顔は会心の笑みでもありました。「上海?ひょっとしたら上海出身なの?」

「そうさ。同級生が店出すから手伝わないかって言ってきたんだ。日本人も来るような店にしようと思ってさ。これが店の名前、日本語で何て読むんだ?」。見せられた紙には「雍正」と書いてあります。どうも雍正帝にあやかっているようです。"YOUZEI"と書くと、「違う、違う。これじゃなくて日本の字があるだろう?」と言うので、今度は平仮名で"ようぜい"と書くと、「そうそう、コレだ。ありがとよ。オレ絶対、上海で当てるからよ。カラオケ屋だけじゃ、終わんないぜ!」。

"えっ?カラオケ?ずいぶんお固い名前の店だなぁ"と思いつつも、「がんばってね。ここでできなかったことを帰ったらとことんやりなよ。元気で!」「ああ、お前も元気でな。ところでお前の名前なんて言うんだ?オレは"かーさん"」と、彼は名前だけを日本語風に言いました。「かーさん?」「そう、中華の"華"で、華先生(=Mr.Huaの意)。オレ、じいさんがアメリカ人なんだ。それで英語の名前を音訳してホアなのさ」。彼がクォーター?またまたこちらがポカンとしていると、可笑しそうに笑って彼はそれきりオフィスから姿を消しました。

ガラスのボートが来た。最近、誰かを不意に見送るたびにそんな想いが胸を過ぎります。身の回りの人がはっきりとした行き先も知れず、ポツリポツリといなくなるのです。それは往々にして突然に、時には去って行く本人たちも予期せぬかたちで起こります。私はそれをガラスのボートのお迎えだと思うようになりました。他人には見えない透き通る舟が、ある日、目の前に止まってしかるべき人たちを迎えに来るのです。喜んで乗り込む人、不承不承乗る人、あまりの唐突さにいったんは迎えを拒み、最終的に諦めて乗っていく人・・・・いろいろな人を見送りました。

特に親しい人でない限り、彼らとはもう一生会うことはないでしょう。香港という場所自体が一つの時代を終え、大きく変わっていく中で、この狭い土地にぎっしりと詰まった人々の運命にも変化が出てきています。それは景気の悪化という簡単に説明のつく、表向きな理由によるものである場合が多々ありますが、私はこの土地自体が持っていたとてつもない吸引力と、その周りを高速スピードで回っていたすべてのものが持っていた求心力が少しずつ落ちてきたことによる、もっと根本的な変化が生じているのではないかと思っています。

生き馬の目を抜くようだった"high flyer"と呼ばれていた人たちが、一人また一人と地上に降りてきて、そのうちのかなりがガラスのボートで去っていきました。"Party is over"・・・ここ5年間はそんな気持ちをいだきながら、信じられないほどの熱狂に包まれた祭りの後片付けをしながら暮らしてきたような気がします。でも、それも終わりを迎え、そろそろ私達にもここを去る日が近づいてきたようです。
遠い地平線や冬晴れの空の高みに目をやりながら、いつどこからやってくるとも知れないガラスの舟に目を凝らしながら、「もしかしたら私達には迎えは来ないのかも・・・」とも思っています。それよりも新しい海に自らの力で漕ぎ出すための周到な準備を始め、家族が心を一つにし、どんな悪天候の中でも希望を捨てず、新しい約束の土地を探す長い旅に出るための、ガラスの舟を仕立てる時期が来たのかもしれません。その透明な方舟は私達の運命を乗せ、帆を上げるのです。南へと・・・。

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「マヨネーズ」  1日の始まりは毎日、ニュージーランドから始まっているのですが、特に新年に当たり、その思いを新たにしています。まっさらな1年がかの地から始まっていくのです。いつか水平線の彼方から射してくるご来光をこの目で見てみたいものです。「それが来年であったら、本当にいいなぁ〜」と、思いつつ、今日は元旦。1年の計は元旦にありですから、願った者勝ちですよね?夢はデッカク。今年もよろしくNZ♪

西蘭みこと

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<Special thanks to まつ子さん>
今回のメルマガは8月19日にホームページの掲示板に書き込んで下さった、まつ子さんのメッセージからインスピレーションをもらって書いたものです。実は12月に配信した「海を越えた電気釜」もそうでした。すぐにメルマガにするつもりだったのに、あれから4ヶ月も経ってしまいました。改めてまつ子さんにお礼を申し上げます。あの書き込みにはまだまだビビッとくるものがあったので、いつになるかはわかりませんが、あと1、2本は書くかもしれません。以下書き込みの原文です。まつ子さん、またおいで下さいね♪

最新エッセイの「遠くにありて」は感慨深いものがあります。あの当時の香港の熱気を体験した人間に共通する思いですね。啓徳(カイタック)空港から降り立った瞬間の熱気と湿気、独特の匂いはわくわくするものがありました。香港から離れ、常に懐かしく思ってますが、これは離れた人間だけでなく、現在香港に住んでいても感じるものなんだなぁと、みことさんの文を読みながらの新しい発見です。誰にも懐かしいあの時の香港なんですね。懐かしいけど遠い・・・。でも、これから西蘭家もNZを目指すように、香港って人生の出発基地みたいなところってありますよね。常にざわざわして町全体が宇宙基地と言うか何と言うか。ここは大好きなんだけど、皆何かに向けて準備してるような感じ。