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Vol.0126 「NZ・経済編」 〜QTの中のアジア その2〜

2002年、ニュージーランド南島。端正な箱庭のような町、クイーンズタウンは初めて訪れた9年前よりかなり膨張していました。高台から眺めたら、まるで掌に収まるようだった町は両腕からもあふれるほどに広がっています。その先端は山肌を這うように上へ上へと向かい、その美しさに誰もが息をのむワカプティ湖ギリギリへと迫っていました。上から見下ろすと、先端部分はどこも新しく、柱だけが立った建設中の建物やこれから積むんであろうブロックが堆く積み上げてあったりするのがはっきりと見えます。まさに建設ラッシュでした。工事が進んでいるのは建物だけではなく、町へ入ってくる唯一の国道も拡張工事なのか、土管やケーブルでも埋め直しているのか、その両方なのか、大きく掘り返されていました。急ピッチで風景が変わっている真っ最中です。

それはまた、80年代から20世紀の終わりにかけ、アジアのどの都市でも見られたごくありふれた光景でもありました。ダンプが行き交い、クレーンが頭をもたげ、古い建物がどんどん姿を消し、更地にはいつの間にか真新しいビルが建つという、おなじみの光景。日本でも連綿と続いてきた眺めです。これらは目に見える経済成長であり、発展であり、近代化でした。疑問をさしはさむ余地もないほど好ましく、誰もが望んでいたことでした。

それはすなわち、人や国が豊かになっていくことの象徴だったのです。その過程で失われていく自然や古い物への懸念はあったにせよ、世論は目をつむりました。そんなことにとらわれていたら成長に取り残され、隣国に先を行かれてしまいます。それよりも「20○○年には先進国の仲間入り」という明白な目標で国を導き、工業化を急ぎ、早く金持ちになる方がはるかに賢明だったのです。

そして迎えた97年から98年にかけてのアジア金融危機。多少の波はあっても永遠に続くと思われた成長が止まり、工事も、投資も、華々しい転職も、毎年あって当然だった昇給やボーナスもピタリと止まりました。ヒト・モノ・カネの流れが止まり、見上げればいつも頭上でクルクル旋回していたクレーンが止まり、無料の求人雑誌が止まり、金融市場でとぐろを巻いていた資金が一夜にしてなくなってしまいました。本当にいろいろなものが泡のように消えてしまったのです。

クイーンズタウンの光景がそんな記憶に重なりました。訪れた時期が日本でいう旧暦正月に当たる中国正月だったこともあり、町のどこへ行ってもアジア人ばかりだったこともそんな思いを一層募らせました(かくいう私たちも中国正月の大型連休を利用して、遠路はるばる香港から来ている身でした)。金融危機以降、アジアでは長い間低空飛行が続いている国や地域もあれば、いったん地獄を見た後の再出発で新たな上昇気流に乗った国もありました。いずれにせよ世界的な景気低迷の中で、危機をくぐり抜けたアジアは以前ほどの勢いはないにせよ、中国の好景気もあって元気でした。

そんな中、世界的に見て比較的景気の良い南半球にアジアの資金が向かいました。純粋な事業投資もあれば、自ら移民として乗り込んできて投資資金という"カネ"も事業経験という"モノ"も、家族や親類縁者とという"ヒト"も持ち込むケースもありました。こういう人たちが真っ先に手を出すのが不動産です。アジアでの長年の成功体験からインフレ下での土地転がしがいかに儲かるか、彼らはその醍醐味を骨の髄まで承知しています。そのとことん知り尽くした"お家芸"を物価上昇が続くニュージーランドで試さない手はありません。

不動産事業は利回りや諸雑費及び税引き後の計算、需給バランスの見きわめさえしっかりできれば、あとは土地勘がなくても始められます。自分たちが好む物件は、当然、仲間のアジア人も好むので、好きな物を買ってアジア人に売るか貸すかすればいいのです。要はいかに安く買うかという点がカギで、早い者勝ちです。キウイたちが好むかどうかはこの際関係ありません。その結果、アジア系の不動産開発業者がアジア人向けにマンションや別荘を建て始め、それをアジア人が買ったり借りたりするので、町は一気にアジア化していきます。私はそのからくりをクイーンズタウンに見たような気がしました。

もちろん、本当にそこまでアジア資金が入り込んできているのかどうかは知りませんが、少なくとも新しくできた目立つ建物のかなりがアジア人を強く意識したもので、彼らの興味をそそるようにデザインされていると感じました。その相手を意識しすぎた造りが、媚や驕りとなってしましい、建物を妙なものに変えてしまうのです。南島には本当に美しい建物が多いだけに、クイーンズタウンの新興物件のあざとさは、周囲に周波数の違うノイズを発しているかのように思えました。

90年代を丸々アジアで過ごし、その美味しいところを余さず手にした身としての自省もあり、私は朝日が照り返るワカプティ湖の湖面を見つめていました。その変わらぬ美しさに慰められながら、変わってしまったもの、この町から消えてしまったものへの愛惜も禁じ得ませんでした。成長という言葉のもつ甘美な響き、果てしない豊かさへの幻想・・アジアでの甘酸っぱく、時には苦かった思いがこの地で繰り返されないことを祈りながら、打ちっぱなしのコンクリートの階段を戻り、朝食に向かいました。(もしかしたら、つづく)

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「マヨネーズ」 37日ぶりに夫と会いました。こんなに会わなかったのは初めてです。積もる話があるようなないようなで、けっきょく淡々と帰って行きました。ユーミンのコンサート「シャングリラU」にでかけ、ひと時幻想の世界に遊んだのが唯一の思い出かな?

西蘭みこと