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Vol.0130 「生活編」 〜すれ違いめぐり合い〜

スーパーで買い物を済ませ店を出ようとした時、観音開きの自動ドアから小山のような大男が入ってきました。子供たちがいたら絶対に、「あっ、ボブ・サップだ!」と言うに違いない、その若い黒人は巨体を揺らしてこちらに近づいてきます。あまりの迫力と、彼が通り過ぎないと外に出られないということもあり、なんとなく見上げていると、「How are you doing?」と小声ながらも声をかけられました。とっさにこちらも小さい声で「Hi!」と言い、まるで人目をはばかって暗号を交わすようでした。

英語が口から出たのも、見知らぬ人と挨拶を交わすのも本当に久しぶりでした。日本にいると知らない者同士は自然に目を伏せるのが常識で、会釈したりしようものなら怪訝そうな視線を返されたり、「ひょっとして知り合いだっけ?誰だった?」と、律儀そうに首を傾けられたりします。しかし、日本を出れば、かなりの国では他人と目が合えばなんとなく会釈をし、はっきり声に出して「Hello」とか、「Hi」と言うことが多いと思います。特にニュージーランドではベビーカーに乗っている小さな子ですら、目が合えばニッコリしてくれるのには驚かされます。習慣の違いなのでそれをどうこう言うつもりはありませんが、好きか嫌いかとなれば、私は圧倒的に微笑み合い、声を掛け合うほうが好きです。

「Thanks, Bob!」 なんとなくいい気分にさせてくれた彼に心の中で感謝しながら家に戻ると、私と同様に新型肺炎(SARS)回避で香港から戻り、日本に滞在している友人からメールが入っていました。「東京に来た当時、公園のベンチで子供が遊んでいるのを見ながら、"ここはなんて平和なところなんだろう"とつくづく思いました。その平和さに意味不明の危惧さえ覚えたものです。(中略)いつでもどこでも通じる便利なはずの携帯電話が色々なところで使用を控えなければならず、それをちゃんと守る人々...等々、様々な面で"へぇ〜、ふ〜ん"と驚きを覚えたり感心したりしています」と、ありました。

その後に続く、「自分の祖国ながら自分が属する場所ではない、と思うのは少々寂しいような気がしますが、それもまた事実です」という、一文には目が釘付けになりました。これこそが、20年ぶりに暮らした日本で私が最も強く感じていたことだったからです。言葉も通じ、習慣もわかり、決して疎外感を感じる暮らしではないにもかかわらず、、「ジブンガ ゾクスル バショデハナイ」という想いは、4月以来、ずっとついて回っていました。でも私はその寂寞とした想いを正面から認めたくはなく、言葉にしたことはありませんでした。しかし、彼女の一言でシャッポを脱がざるを得なくなったのです。

「平和さへの意味不明の危惧」というのも、まったく同感です。日本にいると、まるで社会に何か仕掛けが施されてでもいるかのように、物事の全体は輪郭がぼやけ、微に入り細に入りどうでもいいことに膨大なエネルギーが注がれている気がするのです。スーパーから「ポイントカード」を手渡されたとたん、「日曜日はポイント5倍」、「袋を持参すれば3ポイント」と、パンフレットの説明のまま、それに合わせて日曜日に買い置きの品をまとめて買っている自分がふと恐くなりました。「ワタシハ ナニヲ シテルンダロウ?」

3ポイントは3円。塵も積もればですが、せっせと貯めた500ポイントを換金したところで、たかだか500円。コーヒー2杯分です。そのために、しげしげとその店に行き、じゅんぐりに回ってくる「広告の品」を、肉→野菜→魚→肉→野菜→魚・・・と買っていったら?と、思うとやはり背筋が寒くなってきました。賢い主婦として少しでも安くていいものを食卓に届けようと、一生懸命知恵を絞っているようでいながら、実はどんどん視界を狭められ囲い込まれているのです。本人は自主的に買っているつもりなので、思考が停止しているという意識はありません。こうして日常の中の5円、10円に気をとられているうちに、もっと大きなものを見逃してしまうのではないかと、気になってきました。

しかし、テレビをつけても、周りの人と話しても、そんな漠然とした不安を共有できそうな印象は少なく、むしろ「くどくど考えないで、楽しくやろうよ!」と、背中を押されているようにさえ感じます。取り越し苦労の絶えない貧乏神のような自分は、周囲と微妙な距離ですれ違って行ってしまうのです。勝手のわかる祖国だからこそ、そこに属さないと感じる喪失感はひとしおですが、友人のように、それを「事実」として受け止めようと思います。考えれば、これは今に始まったことではないのです。20年前、私は同じ理由で日本を後にしました。けっきょく、私と日本は長い年月を経ても平行したままだったのです。

帰ろう。
自分が居たい場所に。
それがどこかわからなくても、行ってみればわかるはず、「ここだったんだ」と。
笑みを交わして同じテーブルについても、時には意見をぶつけ合い傷ついたり責められたりしながら、励まし慰め合いもし、最後は握手を交わしてテーブルを離れる。そんな場所に帰ろう。
本当の事を言って構わない。
大人も子供も男も女も一人の人間として、声をかけ合おう。
誰も守ってくれない厳しい場所で強くなろう。
強くなった分、人には優しくしよう。
差し伸べられた手が嬉しかったら、自分も絶対に同じ事をしよう。
すれ違う世の中だからこそ、めぐり合うことに感謝できる。
そんな場所に、帰ろう。

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「マヨネーズ」 「巨人×阪神戦」で、楽しみにしていたマンガが中止となり、子供たちは「野球の方が大事なの?」と、びっくり&がっかり。あきらめられずリモコンをガチャガチャやっていた次男・善が突然、「あっ!ちばまりこちゃんだ♪」と、大きな声を上げました。「"ちばまりこ"って?"千葉真理子"ってこと??クラスメート???」と思っていると、長男・温が思いっきり冷静に一言。「それって"ちびまる子ちゃん"でしょう?」

西蘭みこと