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Vol.0137 「生活編」 〜明治女のお姫様抱っこ〜

「あんた、誰よ?」 唐突に聞かれた30過ぎの茶髪の若い男性は「誰って、天野(仮名)さん、知ってるでしょう?」と、こともなげに言いました。「知ってるって言われたって、あたしゃ、知らないよ。誰なのさ、名前ぐらい名乗んなさいよ。」と、天野さんと言われた80過ぎと思われる車椅子の老女は高飛車に言いました。「佐藤(仮名)でしょう?」「あぁ、佐藤さんか。最初から、そう言やぁいいのに・・・。」 言葉はきつくてもやりとりに棘はなく、二人とも淡々としていました。

ある梅雨の晴れ間の一日、私は日本滞在中にぜひやってみたかったことの一つであるボランティアとして、とある民間の特別養護老人ホームに来ていました。そこで半日のシーツ交換のお手伝いをしていたのです。仕事は職員の方とペアを組んで行う単純作業でしたが、対象となるベッドが何十床もあるためかなりの肉体労働で、汗をかきかきの作業でした。ほとんどの部屋は入居者が出払ったあとでしたが、中には人がいることもあり、天野さんはそんな一人で、ベッド脇の車椅子に所在なげに座っていました。

痴呆が進んでいたり、体の自由がきかなかったりで、車椅子でも一人では動けない人も多い中、彼女は目つきも鋭く、かなりしっかりした様子です。私は他の人にもそうしてきたように、「おはようございます。失礼いたします」と挨拶をしてから、彼女のベッドに手をかけようとしました。すると彼女が、「知らない人に"失礼します"って言われてもねぇ」と言い出したのです。慌てて名乗ろうとすると、即座にフロアーの責任者である佐藤主任が「新しいボランティアさんで今日からなんだ、よろしく」と、代わりに応えてくれました。

老女は彼のその一言に「待ってました」とばかりに絡み、冒頭の会話となりました。私たちが立ち働いている脇で、なおも二人のやりとりが続きます。「シーツなんか代えてさ、私は誰と寝ればいいのよ」「一人で寝るんでしょう?」「じゃあ、あんたは誰と寝んのよ?あたしと寝てくれるって言うの?」「ボクは天野さんとは寝ませんよ。」「じゃ、誰と寝んのよ?え、佐藤さんは誰と寝んのよ!」 私の存在には何のお構いもなしに会話が続きます。それは一見、丁々発止としたものでしたが、武道の型のように「こう来ればああ出る」と、最初から決まったもののようでもあり、話している二人は実にしれっとしたものでした。

多分、この老女は毎週水曜の午前中、若い佐藤さんに難癖を言っては絡み、出口のない問いを繰り返しているのでしょう。その二言三言のために、みんなと一緒にホットミルクを飲みながらリビングでテレビを見ることもしないで、ベッド脇で待っていたのかもしれません。二人の会話にはそんなこなれた印象さえあり、佐藤さんもまた、たまたま目の前に飛んできた蝿を軽く手で払うように何事もなかった様子で、次の部屋へ向かいました。

老人ホームと言われる施設に初めて入った私の第一印象は、「思ったより明るくてきれい」でした。そして職員の男性比率の高さに驚きました。しかもみな若く、20〜30代が中心で、主任もどう見ても30半ばでした。ほぼ全員イマドキのヘアスタイルで、茶髪をジェルやワックスで思い思いに固めたツンツンヘアや、ピアスこそ外しているものの耳に何個も穴を開けている人もいました。みんな白衣の制服を着て大ぶりなエプロン姿でしたが、これだけ若い人が揃うと雰囲気が華やぎ、若々しく、エネルギッシュにさえ感じました。

いい光景でした。それは入居者にとっても、働く職員にとっても、日本の将来にとっても幸せな光景でした。老人介護という現場に老若男女がいりまじることは実社会の縮図として自然なことであり、入居者が社会から切り離されてしまうことを少しでも食い止めることになるはずです。年を重ねた人と若い人が話す時には、驚きやためらい、戸惑いもあるでしょうが、話が通じた時の喜びや手ごたえもまた格別でしょう。若い職員にとって、老人を身近に感じることが少ない年齢のうちから仕事とはいえ介護の一線に立ち、人間の一生を俯瞰できることは本人にとっても、社会の一員としても得るものが大きいと思います。

男性職員比率の高さを意外に感じたこと自体、私自身が固定観念に縛られていることの顕れでした。こうして10年前までは珍しかった光景がどんどん日常化し、日本という社会が多様化し、価値観や職業観、人と人とのかかわりに幅が出てくることは素晴らしいことです。今回の20年ぶりの日本滞在では、社会全体が思ったよりも「柔らかくなってきている」と至るところで感じました。しかし、それが自主的なものなのか、不況下で選択の余地がない状態での仮の姿なのか判然としない面もあります。景気が回復しても、日本という国が人々を硬直化した24時間戦う企業戦士へと追いやるのではなく、気の遠くなるほどの選択肢の中から本人が本当にやりたいことを自由に選び取っていくことを見守る、柔軟な社会に留まって欲しいと切に願います。

小柄な老女が男性職員の軽々とした"お姫様抱っこ"で、次々とベッドから車椅子へと移動するのを見て、明治や大正初期生まれの彼女たちにとり、夫にさえしてもらったことがなかったであろうそんな瞬間が、つかの間の"楽しみ"であっても「今の日本ならいっこうに構わないんだ」と思うと、なんだか嬉しくなりました。

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「マヨネーズ」 「モモちゃ〜ん♪」と女性職員数人が駆け寄ってきた老人は、塩爺似の品のいい80がらみの老人で、シミのないきれいな肌に赤みの差した頬がなんともかわいい人でした。「モモちゃん、ぶつけたとこ痛くない?」「ほら、まだこぶになってるよ」「ホント〜、ちょっと冷やす?」 女たちが顔や頭をさわりながら盛んに話かけても、彼はわずかに口を開いたまま、恍惚とした表情で前を見ているばかり。こんな光景もアリなのです。

西蘭みこと