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Vol.0138 「生活編」 〜適時適所〜

「しまった!」 真冬のパリの街頭に立ち、私は即座に後悔しました。寒さと無念さから逃れるようにカフェに跳び込み、掌にすっぽり収まるエスプレッソのデミタスで暖を取りながら、外を行き交う人々を呆然と眺めていました。あと2週間もすれば24歳。大学を卒業して台湾に留学し、その足で台北から直接やってきたフランスのパリ。アジアにどっぷりだったここ6年間の価値観を洗い直してみるための、新たな実験の場として選んだ場所。

「来るのが早すぎた」、それが後悔の理由でした。「ここは小娘の来る場所じゃない。40ぐらいになって来るべきだった」と直感しました。その時はフランス人が「女は40から」と言うということをまったく知りませんでしたが、見るからに社会が成熟していてマドモアゼルと言われているうちは半人前、誰からもマダムと言われるようになってからでないと街の醍醐味は味わえないと感じたのです。実際、私はしがない貧乏学生で、1日4時間のフランス語の授業の後はアルバイトに追われ、マダムへの道は果てしなく遠いものでした。

あれから17年。私も40代となり、今だったらパリに行っても気後れすることなく、みすぼらしく見えないかどうか気兼ねすることもなく、店でもレストランでも行った先々で楽しむことができるでしょう。支払いだってクレジットカードがあります。でも、私はもうパリに住んでみたいとは思いません。今はその時期ではないからです。20代半ばの私には選んだ場所が正しかったかどうかはさておき、あの街で暮らす明白な目的がありました。しかし、今はそれがありません。私はパリを呼吸し、消化し(たとえそれが消化不良であっても)、再びアジアに戻ることを決心して、実験は目的を達成して一年で終わりました。

ですから、パリを離れ香港に降り立った私に一切の迷いはありませんでした。仕事を探し、社会に入りこみ、友達を見つけて生活の根を張り始めるまでにたいした時間はかかりませんでした。香港での3年間、その後、同じように始まったシンガポールでの3年間、そして再び戻った香港での今日に至るまでの10年間の年月は、すべてが私の意志で過ごした場所と時間でした。シンガポールから香港へ戻ったのは、夫の転勤という偶然でしたが、それはまさに私の強い希望でもあり、「わが意を得たり」という辞令だったのです。

人生のその時々をどこで過ごすかは、私にとって非常に重要なことです。生まれた町で一生を送ったり、進学や就職で大都会に出て来るという自然な流れの本流があるとすれば、私はいつも蛇行したり、流れが細くなったりする支流を行く身です。しかし、その時々に「どうしても、そこでなくては」、「今はぜひここで」という強い思い入れがあり、1年ずれただけでその思いがまったく変わってしまうほど、思い入れ本位でやって来ました。

そうした経験から、人生には「適時適所」というものがあることを学びました。時には今の生活のすべてを捨ててでも進まなくてはいけない時期があり、行くべき場所があると信じています。目を皿のようにしてそんな場所と時期を見計らい、来るべき時に備えて準備を怠らずにいると、ある時、唐突に船出の時が来ます。それが感じられたら、取るものも取らずに乗り込むのです。「仕事(時には恋人)はどうしよう?」という不安は、持ちきれない荷物と一緒に置いていきます。一生ものの経験、友人、恋人はどこにあっても、必ず残るものです。そこで切れてしまったなら、それは見送りの鮮やかなテープの一本と割り切って水に流します。

39歳の誕生日を2週間後に控えた2001年、私はニュージーランドに出会いました。オークランドに着いた翌日、「ここに住もう」と突然思った時の、呪縛から解き放たれるような手応えに、「いずれ船が来る」と感じました。以来、私は船出の時に備え、大袈裟ではなく、全身全霊を傾けて準備に取りかかりました。新しい料理を覚えたり、子供に日本語の本を読み聞かせたりといった日常のありふれたことさえも、"移住への準備"という大義名分ができたとたん、急に喜々として行うお楽しみとなりました。

漫然とこぼれるように全方位に流れていた毎日の時間が、目的に向かって一筋の流れとなったのです。生活にハリが出てきたのが感じられ、夫婦、家族でそれまで以上によく話し合うようになりました。何気ない買い物一つをとっても「移住するまでに必要な当座のもの」と「NZにまで持って行くもの」と厳然とした区別がなされ、そのどちらでもないものには手を出さなくなりました。その延長でお金や時間の遣い方、夜や休日の過ごし方にも変化が出てきました。移住を決めなかったら、メルマガを始めることなどなかったでしょう。

このように、移住する前から実質的な移住生活が始まっているのです。同じ香港という地にありながら、生活の視点がすっかり変わってしまい、それに合わせて見えてくる風景さえ違ってくるようです。
107日の日本滞在もそういう点から見れば、結果的に「適時適所」だったかもしれません。香港を離れて暮らすという意味で、これ以上の予行演習はありませんでした。今はこまごまとした準備を進めているばかりですが、いつかはこの細い流れも、水平線の向こうに広がるはるかな大海原を目指すことになるのでしょう。

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「マヨネーズ」 パリ留学時代の親友がフランスの大手出版社に就職し、パリ出張から戻って来た時のこと。「ざまあみろ!って気分だったわよ。カネならあるわよ、カネならってね。カードだけどさ。どんな店でもド〜ンと来い!って感じ。あの頃はシャネルとか、やっぱり行っちゃいけないって思ってたもの。若くても観光客とかはフツーに行ってたけど、住んでる者として、やっぱりそれはやっちゃイケナイって思ってたよね?」 うんうん、とうなずきまくりの私。「で、何か買ったの?」「いや、別に・・・」「・・・・・・・・・」

西蘭みこと