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Vol.0144 「生活編」 〜真夜中の一番風呂 その3〜

約4ヶ月同居した真夜中に一番風呂に入る姑は、来年で70歳になります。普段の発想や態度にあまり年齢差を感じないため、ついついこの点を見過ごしてしまいそうですが、世間一般で言えば十分に"一丁上がり"の年齢で、孫との同居といえでも突然の生活の変化に順応していくことは、並大抵のことではなかったと思います。実際、新型肺炎(SARS)で私たちのように一時帰国した友人の中には、実家での実の親との生活に音を上げて、病気が収束するのを待ちきれずに日本を引き揚げた人が何人もいました。

しかし、私は同居を楽しみました。難しい局面を乗り切らなくてはいけないことも、ごくたまにありましたが、本当に楽しみました。その一番の要因は姑が徹頭徹尾、率直でいてくれたことが大きかったと思います。私も性格上、良くても悪くても正直にはっきりとしか物が言えない質ですが、姑は更に一枚上手でした。私から見ると、天然の女王様気質とでも呼びたい、羨ましいくらいに自分の欲求に貪欲な、周囲を巻き込んでは欲しいものを手に入れる性格でした。

世間は往々にしてこれを「わがまま」と呼び、切り捨ててしまうのでしょうが、姑のすごいところはこの気質を周りに認めさせてしまう、なんとも言えないチャームがあることです。彼女が何かの依頼の電話を入れているのを漏れ聞きながら、「これじゃ、断れないなぁ」と、舌を巻くことが何回もありました。それがあまり理に適っているとは言えないことでも、なんとなく流れを作り目的を遂げてしまう手腕は、年季が入っている分、相当なものです。女性らしい(と一般的には考えられている)甘えや人を頼るという、私の辞書ではほとんど見つからない言葉も、彼女の辞書には1ページ目の1行目にあるようでした。

一方、こちらは人に面倒をみてもらうより、人の面倒をみられることに満足し、自己実現を果たす天下の貧乏性。姑に「○○を買ってきてもらえないかしら?」「××へ行ってきてくれる?」と言われると、キッチンのシンクにぴったり合う水切りカゴ探しから、ハイファイの修理までホイホイと行ってしまいます。それがさほど苦でもなく、「ハイファイ、重かったでしょう?」などと昼食代を出してもらえたら、もっけの幸いという単純明快ぶりでした。ですから、女王様気質と召使気質の組み合わせは絶妙なものだったのです。

実際のところ、私たちには共通するものがほとんどありません。姑が「電話・手紙」好きなのに比べ、こちらは「仕事中かな?」「子供を寝かせてるところかな?」などと考え始めると、どんどん電話を入れるタイミングを外してしまい、もっぱら「メール」に頼っていました。その延長で電話をもらうと非常に恐縮してしまうものでした。手紙というものは、"コピー&ペースト"ができない以上、私にとってはすでに毛筆書きに等しい特別なものであり、香港に戻る際に息子たちの担任の先生に感謝の想いをしたためたくらいでした。

買い物は姑の場合、食品に至るまですべて「デパート」で済ませ、彼女は近所のスーパーにもたまにしか行かず、100円ショップなど行ったこともありませんでした。ところが、こちらは大のデパート嫌い。ほぼゴミにしかならないあの過剰包装の代金を全部払わされているのかと思うと贈答品以外買う気にならず、お金さえ出せば誰でもそこそこの物が手に入るという点も、ハンティングスピリットをかき立てられず退屈です。その点、アイデア次第の「100円ショップ」や「リサイクルショップ」は、私にとってのワンダーランドでした。

物に関する考え方も対照的で、必要最少限の物しか持たず、不要と見なしたものは「どんどん捨てる」姑に比べ、私は自分でもどうするつもりかわからなくても、ピンときた物は「何でもとっておく」方でした。彼女が、買ってきた雑巾をすごい勢いで捨てていくのに心底驚き、「せめてエアコンか換気扇を拭いてから捨てたいので私に下さい」と何度か頼みましたが、一度ももらったことはなく、いつも新品の雑巾が惜しげもなくおろされていました。一方、こちらは子供が「図工でコラージュやるからギザギザしたものが欲しい」と言えば、機内食のプラスチックフォーク、お土産にあった麻紐、ホテルの歯ブラシ、カフェでもらってきた折れ曲がるストロー、ガーゼなどがさっさと用意できるという物持ちの良さ。

その結果、「もったいない」「もったいなくない」で話が噛み合わず、間で子供がまごつくシーンが何度かありました。「おばあちゃんが捨てなって言ってるよ」というものを私が澄ました顔でしまいこんでしまうかと思えば、「"もったいない、もったいない"って言わないで、おばあちゃんその言葉、大ッキライ。また買えばいいでしょう?」と、こちらに十分聞こえる大きさの声で子供たちを諭しているのが聞こえてきたりで、お互い海千山千でした。 しかし、これほどまで双方の価値観に接点がなく、それぞれがそれを隠そうとも妥協しようともしなかった結果、一緒にやっていくには相手の価値観を認めるしかなかったことは幸いでした。この差異が微妙なものであれば、むしろもっとやりにくかったかもしれません。「みことさん、あなたの好きな"ダイエー"の広告よ」とニヤッとしながら新聞の折り込みを手渡してくれる姑に、「私が好きなのはもっとローカルな"コモディイイダ"♪」と思いながら受け取る時、私たちは同じ穴のむじなであったと確信しています。(つづく)

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「マヨネーズ」 「コモディイイダ」は好きでした。地元のチェーンストアですが、商品、価格の説得力は近くにあった流通最大手のスーパーの比ではありませんでした。かと思えば、決して広くはない店内なのに「フィラデルフィア」のクリームチーズなど気の利いたものまであったりして、毎日発見のある楽しい場所でした。次男・善が最後の最後まで、何度訂正してあげても、「コメディ・イイダ」と言い続けてたのも、何だかお茶目でした。

西蘭みこと