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Vol.0146 「生活編」 〜真夜中の一番風呂 その4〜

約4ヶ月同居した姑が夜中に一番風呂に入る訳は、人が入った湯に入るのが嫌だからです。これは結婚以来はっきりと言い渡されていたことで、帰国するたびに私か夫かが風呂洗いをし、湯を張りなおしていました。もちろん夫は結婚する前からしています。舅の生前でも私たち全員は子供を入れても6人にしかならず、姑一人のために湯を張りなおすということは私の経済観念では度を越えたものでした。しかし、しょせんは姑の家、姑の習慣。深く考えることを止め、言われた通りにしていました。

一緒に暮らし始め、お互いの価値観がまるで違うにもかかわらず、たいがいのことは歯を食いしばって我慢するでもなく(二人ともそうなる前に口に出してしまう性格だったので)、上手く仲良く回っていたのは不思議でもあり、自信にもなりました。しかし、私がどうしても難儀したのは、こうした姑の潔癖症でした。清潔好きはいいことですが、「他人(家族を含めた自分以外の人)=汚い」という構図には、同居人として身の置き場に困ることがたびたびありました。

例えば、私は図書館から週に10冊は子供用に本を借りていましたが、姑に言わせれば「あなた、えらいわね〜。毎晩子供に本を読んであげて。でも、よくそんな人が触った本で平気ね。汚いでしょう?借りないで買ったら?」ということになります。また、毎朝近所の幼稚園のうさぎに餌をやりに行っていましたが、週末には子供たちと行くことも多く、戻ってきてから「とーしばクン(次男・善が命名した子うさぎ)、大きくなってたね〜」などと話していると、「うさぎってかわいいでしょう?でも臭くない?ところで、あなたたち手を洗った?」と、和やかな会話はうやむやになっていきます。

それ以外にも、子供に「部屋がにおうからドアを閉めてきて」と、私たちが寝泊りしている部屋のドアを指差すかと思えば、「みことさん、窓開いてる?開けないとに臭いわよ」と言い、「窓だけ全開にしても反対側のドアを開けないと通気にならないんじゃないでしょうか?」と尋ねると、「ドアはいいの。閉めておいて」と、いう返答。通気の意味がほんど半減してしまうので、蒸した時期などはドアを開けておいたりもしましたが、「閉める」「閉めない」の話は何度か繰り返されました。

香港で持っており日本でも必要だった、子供用の水筒やバドミントンのラケットなどは近所のリサイクルショップで買いましたが、これなども他人が使っていたものとして本来は持ち帰り禁止アイテムだったはずです。ただし、「水筒は引き出物らしい新品、ラケットはいずれ外で使うもの」と、自分なりに言い訳を考えて買って帰りました。ただし、夏服をあまり持っていなかった私がその店でノースリーブのカットソーを買ったりしたのはさすがに内緒にしました。古着など、「中古マンションもレンタカーもイヤ」と言ってはばからない姑の想像を超えたもので、そんなものが家の中にあること自体、不快だったはずです。

しかし、とても妥協点が見出せそうもない極端な潔癖症に対し、私は自分でも意外なほど腹が立ちませんでした。姑が何十年もやってきたことを、まず尊重したかったのです。また、彼女は亡き最愛の舅やその持ち物に対しても同じ感想を繰り返していたことから、その「臭い」「汚い」の意味するところは私たちが想定するものとは度合いが違い、ちょっとした不快感や拒否感を表しているに過ぎないのだと考えるようになりました。「姑にしか感知できない、観念的なものに気に遣っても仕方がない」と思うと、こうしたきつい形容詞もだんだん馬耳東風となり、さほど気にならなくなっていきました。

その結果、「臭いでしょう?」「汚いでしょう?」と聞かれても、「そうですかね〜」と手応えのない返事をし、聞き流せるようになりました。実際に何もにおわず、図書館の本が汚いとも思えなかったので、その気の抜けた返答は姑の意向を汲みつつも、私の本心を伝えるほとんど唯一の受け答えでもありました。私は自分たち3人のすべての服を毎日洗い、シーツやバスタオルも天候が許す限りは3日を開けずに洗うようにし、姑との差を縮めようと努力しました。それでも、大雨の日に乾燥機をフル回転させてでも、毎日バスタオルを洗う姑とは比べようもありませんでした。私には雨の日にまで洗濯をすることはできず、乾燥機を使うことを最後まで勧められましたが、それだけは断り続けました。

5月中旬以降は夜中に一番風呂を用意することを止めました。私たちが入らなければ姑は二度焚きして前日の湯に入るからです。冬場以外は風呂など入らない香港から来た私たちはシャワー派です。その頃には気候も十分暑くなってきたこともあり、子供たちにもシャワーを言い渡しました。姑は「お風呂は温まるのに。シャワーじゃよく洗えなくて汚いでしょう?」と何度も言ってましたが、私は引き返しませんでした。風呂洗いは苦ではないのですが、姑の習慣を尊重すると言いつつも、湯船いっぱいの湯を毎晩捨てなくてはいけない罪悪感にはさいなまれ続けていました。ささやかな思いを通して一息ついたのもつかの間、今度は自分の身に不思議なことが起きていることに気がつきました。
(つづく)

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「マヨネーズ」 パリに行ってきた友人が「パリ・プラージュ」(パリ海岸)の話を聞かせてくれました。これは去年から始まった市の催しで、セーヌ河畔に海岸(じゃないじゃん!)を作ってしまうという大胆な試み。鉢植えのヤシが並び、その下にはサンデッキがズラリ・・・。しかし、目の前はしょせん川。観光船が行き交い、車の排ガスの中でのリゾート気分というのもちょっと涙ぐましいものが。でもバカンスにかけるフランス人の意気込みは生半可なものではなく、どこででもいいから9月までに焼けてないとマズいという国民的理由もあり、大盛況だったそうです。40度を越えた猛暑の中でジッと耐えたパリジャンって??

西蘭みこと