>"
  


Vol.0153 「生活編」 〜真夜中の一番風呂 その5〜

「本当にわかんないの?」 息子たちが興味津々にこちらを見ています。私は二人の目の前で、"におい付きバナナ消しゴム"と書いてある黄色い消しゴムを持ち、鼻の中に入れんばかりの近さでにおいを嗅がされていました。「わかんない。何のにおいもしないけど・・・」。「えぇぇぇ?これがわかんないの〜?」と、顔を見合わせてケタケタ笑い転げる二人。この反応から見て、かなり強いにおいがあるようなのですが、さっぱりわかりません。私は掌で消しゴムを転がしながら、キツネにつままれた気分でした。

事の発端は、消しゴムがなくなったと言う子供に、「やっぱり100円ショップのはダメなのかな〜?"におい付き"って書いてあるけど何のにおいもしないね」と言って、買い置きしておいた消しゴムを出したことでした。手渡すやいなや、二人が一斉に、「えっ?においするじゃん。あ〜、おいしそうなバナナの匂い♪」と言うではないですか!これには心底びっくりしました。「モシカシテ、ニオイガワカラナイ?」 その時、初めてその事実に気がついたのでした。

そういえばスターバックスに行った時、「コーヒーの香りがしないな〜。駅ビルだとこういうにおいも外まで漏らしちゃいけないんだろうか?」と、思ったことがあったのを思い出しました。スタバが香らないなんて、そんなはずはありません。カレーを作った時も、みんなが「今日はカレー?いい匂〜い」と言っていたのに、私にはわからなかったことがあります。すぐに洗濯機のところに走り、洗剤の箱を開けました。そして、柔軟剤、シャンプー、コンディショナー、石けん、かなり独特の匂いがあるはずの漢方化粧品と漢方薬・・・と、次々に鼻を近づけてみました。どれもまったくにおいません!完全に嗅覚を失っていました。

数日後、夫が香港から出張でやって来ました。この件はメールで知らせてあったので、彼は着くやいなや、「いくらなんでもこれはわかるだろう?」と、自分が履いてきたスニーカーを私の目の前に掲げました。私は差し出された靴に鼻をくっつけんばかりにしましたが、まったくにおいがありません。面白半分だった夫の表情が変わりました。彼は香港でその靴を洗ってきたはいいものの、天気不順で生乾き臭さが残ってしまったと言うのです。「これがわかんないなんて、けっこう深刻かもよ。医者に行った方がいいね」と真顔で言いつつ、同時に、こんな靴を玄関先に置いておいたら潔癖症の姑に何を言われるかと案じていました。

その数日後に、中耳炎になった息子を連れて耳鼻科に行く機会ができました。息子の診断が終わった際、「先生、私は嗅覚というものがまったくなくなってしまったみたいなんですが、こういうことってありますか?」と、率直に聞いてみました。真面目そうながらどこか飄々とした先生は、そばにあった注射用らしい茶色の小瓶の首にあたる部分をポキリと折ると、液体が入った方を私の方に差し出し、「どんなにおいがしますか?」と尋ねてきました。鼻の奥に、ツンとくる炭酸のような刺激を感じたものの、まったく無臭でした。「わかりません」と答えると、先生は苦笑いしながら言いました。「この薬はかなり臭いんですけどね〜。カルテを作りましょう。」

「蓄膿を煩ったことがありますか?ご家族はどうですか?最近、風邪を引いたり、鼻水が出ていたことはありますか?鼻炎になったり、花粉症やアレルギー体質だったりは?」と、原因解明へ矢継ぎ早に尋ねられましたが、応えはすべて「NO」でした。とうとう「ストレスでは?」と来たので、「やれやれ、最近のお医者さんは何でもストレスと言えば理由付けができると思って〜。残念、で・し・た。私に限っては、まったくの見当違い。長年の夢がかなってやっと仕事を辞めたばかり私に、ストレスなんてあるわけないでしょう!」と心のうちで舌を出し、思わず鼻で笑ってしまいました。答えはもちろん「NO」です。

原因不明のまま、鼻の中へ直接投薬することになりました。先生によれば、「原因はともあれ治療法は一緒」ということだったので、私は大きな病院を紹介してもらっての原因追及は省いて、治療を始めることにしたのです。心のどこかでは、「今までこんなことになったことは一度もないんだから、香港に戻れば必ず治る」と、根拠のないまま先行きを楽観視し、鷹揚に構えていました。実際、視覚や聴覚を失うことに比べたら、日常生活への支障ははるかに小さいので、あまり不便を感じない分、深刻さにも欠けていたようです。

一方、姑からは夫が着いた翌朝早々に、「みことさん、この靴臭いでしょう?あなた洗ってあげたら?」と、すかさず言われました。彼が案じていた通りです。しかし、今回は仕事用の革靴とこの靴しか持ってきておらず、二日後の週末には子供たちとボーリングに行く約束をしています。洗っても乾かなかったら、それこそ元も子もありません。いずれにしても、何もにおわない私は「そうですか?臭いですかねぇ?」と、すっとぼけた返事であることは承知していても、正直に答えるしかありませんでした。けっきょく、私は夫の靴を洗いませんでした。におわない限り、洗いたての靴はとてもきれいだったからです。 (つづく)

***********************************************************************************

「マヨネーズ」 ある日の善との会話:「ママ、あのね〜、柔道に新しく入ったバッちゃんいるじゃん?あの子がね〜」 「バッちゃん?まっちゃんとかじゃないの?」 「違うよ〜。バッちゃんだよ〜。知らないのぉ?」 「日本人の子?日本語でバッちゃんって、だいたいおばあちゃんのことなんだけどな〜?」 「日本人じゃないよ、チャイニーズ!みんなそう呼んでるよ、先生だって・・・。あのおっきい子、ママだって見たじゃん。」 (そうだよな〜。最近入って来た子は香港人ばかりだったよな〜。でも、バッちゃんなんていたっけ?えっ?大きい子って言った?) 「善くん、その子って、セバスチャンのこと?」 「えっ?」

西蘭みこと