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Vol.0172 「NZ・生活編」 〜双子の願い〜

私には半生の大半をかけて捜し求めてきたものが、少なくとも二つあります。一つは「家族」です。両親揃った平凡なサラリーマン家庭に生まれ育ち、求めずとも家族は目の前にいましたが、私が彼らを「家族」だと何の疑いもなく思っていた期間はあまり長くなく、物心ついてからは独り立ちができるまでの「保護者」だと思っていました。もちろん、そんな風に考えるようになるまでには、子供ながらにもすさまじい紆余曲折がありました。しかし、最終的に「家族は血のつながった他人」という結論に行き着いたことで救われ、親きょうだいとの距離を安定させることができるようになりました。

なぜそんな複雑な経緯と関係に至ったかはここでお話している余裕がないので省きますが、「家族ごっこ」の息苦しさから、大人になって家を出る日をずっと待ち続けたような子供時代、ひたすら夢見ていたことは本当の「家族」を持つことでした。親がいて子供がいて、温かな会話があって、みんなでどこかに出かけたり、同じことをしたりして、平凡だけれどそれが楽しくて仕方ない、当たり前の生活を渇望していました。29歳で結婚、32歳で出産すると、夢は案外あっさり実現しました。何せ、「こんな家庭を築こう」と20年来夢見てきたわけですから、シュミレーションは十分過ぎるほど繰り返されていました。後は、夫の理解を得て実行あるのみでした。

もう一つの追い求めていたもの、それは「国家」です。私は日本を一歩も出たことのない両親から生まれた生粋の日本人で、民族の誇りも人並みにあるつもりです。しかし、これが「国家意識」となると、急に言葉が濁ります。正直なところ、オリンピックで金メダルを受賞した日本人選手の後ろに「日の丸」が掲揚され、「君が代」が流れても、なんだかテレビの向こうの遠い世界の話のようで、ピンと来ないのです。

子供の頃にしげしげと「日の丸」を見たのは、母が祝日に掲揚する時ぐらいでした。それも気まぐれなもので、出したり出さなかったりだったように記憶しています。学校では「君が代」が音楽の教科書の最後のページに、他の曲の後の空欄を埋めるかのように、数行の五線譜でちょこっと載っていたのを覚えています。教職員ストが年中あるような学区でしたから、卒業式に「君が代」が流れたことは一度もなく、私は「国家意識」を遠巻きにしたまま日本を出てしまいました。

ですから留学先の台湾で、映画上映の前に必ず国歌が流れ、それをみんなが起立して聞き、すぐその後にベタベタのコメディー映画が始まれば、これまたみんなで笑い転げるという展開には本当に戸惑いました。その後留学したフランスでも、普段はクールなパリジャンたちが何かの折に国歌「ラ・マルセイエーズ」が流れると、みんなで唱和し出すのには密かに驚きました。一目では国民なのか旅行者なのか見分けがつかないような、旧植民地から来たと思われるアフリカ人が歌っているのを見た時、「あぁ、この人たちは一つなんだ。民族は違っても同じ国の人たちなんだ」ということを、つくづく感じたものです。しかし、台湾にしろフランスにしろ、私にとって所詮は他所の国。その国歌はイギリス国歌「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」並みに、遠い存在でした。

生活の拠点を香港に移してからはここ自体が国家ではないため、そうした意識を再考させられるきっかけも必要も感じないまま、ゆるゆると10数年を生きてきました。そんな中で、結婚して家族を持つという一つ目の夢がかなったちょうど10年後、私は奇しくもニュージーランドという国に出会いました。オークランドをクルマで流している時、「ここに引っ越してこよう。この国で暮らそう。」と、突然思い立って以来、その想いに魅入られてしまいました。

唐突に移住を決心した2ヶ月後。毎年香港で開催されている7人制ラグビーの国際大会「香港ラグビー・セブンス」で、初めてNZ国歌をしげしげと聞きました。そして、胸が熱くなるほど感動したのです。これには心底驚きました。なりきり気分もここまで極められれば相当なものです。しかし、この感動は頭での理解や目的意識を超えた、理屈ぬきの体験でした。そこには「いつか移住するかも知れない国の国歌」という表向きの理由ではなく、「国歌に胸が高鳴る一国民」への飢(かつ)えたような想いが横たわっていました。

乾いた大地に水がしみこむように、「ゴッド・ディフェンド・ニュージーランド」が私の心にしみわたっていったのです。「一つの国家に属するかもしれないという期待」は、感動の後にやってきた解釈でしかありません。そこで改めて、長年の双子の願いである「家族」と「国家」への希求が、私にとっては帰属意識への強烈な羨望であったことに気が付きました。19歳で家を飛び出し22歳で日本を後にし、誰にも気兼ねすることなく心の底から自由を謳歌する半生でした。しかし、ここに来て、裏を返せば"居場所のない"自由から、"自分の足でしっかりと立つ場所がある"自由へと、夢が一つ階段を上ったことを知りました。来年の「ラグビー・セブンス」の時まだ香港にいるようであれば、「ゴッド・ディフェンド・ニュージーランド」を高らかに唱ってみるつもりです。

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「マヨネーズ」 「ゴッド・ディフェンド・ニュージーランド」は1876年に、トーマス・ブラッケンの作詞に公募の結果選ばれた、教師ジョン・ウッズの曲をつけて誕生しました。最初に歌われたのはその年のクリスマスのダニーデンで、その2年後にマオリ語訳ができました。1977年にイギリス女王の承認により、「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」と並ぶ国歌となったそうです(参照:「ニュージーランド・ロブスター」)。今回のテーマへのインスピレーションを授けてくれた「カフェ・アオテアロア」の管理人ちっちさんに感謝します。

西蘭みこと