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Vol.0178 「生活編」 〜アジアの彼岸 その2〜

キウイの友人と話している時、ニュージーランドを代表する大学の一校であるマッセイ大学では、学生の半数以上がアジア系になったという話になりました。香港でキャリアを積んだ彼は、「いいことだ。アジア人との競争が激しくなればキウイの学生にとって刺激になる。優秀な学生が集まってこそ学校の質も上がってくるのだから、学生がどこの出身であろうと構わない。」と、キャンパスの"アジア化"を歓迎していました。

彼の明確な意見を前に、私は黙っていました。何と応えたらよいのかわからなかったからです。彼の言うところの、また一般的にもそう信じられている"優秀な学生"とは、テストで高得点をマークするような学生を指すのでしょう。だとしたら、アジア人は全般的に"優秀"です。中国の科挙に代表されるように、日本、韓国、台湾といった中国及び儒教文化の影響を強く受けるアジア諸国のいずれもが、積極的にペーパーテストで学生の能力を査定しています。

こうした試験結果は往々にして、「何点を採ったか?」よりも「順位が何位だったか?」を問題にしています。受験で生徒50人を採る学校があるとしたら、上位50位以内の学生が「合格」で、それ未満は「不合格」になるのですから当然でしょう。その際、点数が90点だったのか70点だったのかは問われず、合格者の平均点が高ければ「今回の試験は簡単だった」、低ければその逆となり、受験者が出題の9割を理解しているのか、7割しかわからないまま入学してくるのかは問われないのです。

更に言えば、ほとんどのことが偏差値で決まります。試験結果の平均値を求め、そこを偏差値50として中心に据え、上下に広がる点数を標準偏差で計っていくと、何度試験を受けても同じような数値が出、受験者一人一人に背番号として偏差値が行きわたります。そして、「私は偏差値60だからあの学校は無理」といった具合に、最も現実的な目標が目の前にぶら下がってくるのです。偏差値を採用することで、「個人の能力」とは限りなく「相対的な位置」を示すものになり、極端な話、一人の学生が優秀かどうかはその人一人ではわからず、数十、数百人の学生との比較によって初めてわかることになるのです。

私は、前回お話したイギリス人ママ・エリーの苦悩がまさにここにあると見ています。彼女自身に自覚があったかどうかはわかりませんが、数値に置き換えられない音楽というものを愛する息子の能力を、偏差値のローラーで均していくことに彼女は最後まで抵抗していたのです。しかし、彼女の息子が通うイギリス系インターナショナル・スクールといえども、"アジア化"は顕著で、詰め込み教育を施しながらその消化具合によって各人の順位を計るようになってきています。同様に、学校そのものもイギリス全国で何位に位置しているか大きくクローズアップされるようになりました。学校の順位自体は以前からありましたが、それを問う父母に応える形で学校側が順位の向上に邁進し始めたようなのです。

こうした中で、相対評価以外の評価基準の地位が低くなり、数字という目に見える結果を残してこそ評価される傾向になっています。順位や偏差値を信奉するがゆえに、その押し上げにつながらないものを切り捨てていくのがアジアの現状です。日本で真冬に子供を半袖で過ごさせたり、一年中水泳を習わせたりするのが、勉強だけでなくスポーツにも長けたタフな子供であることをアピールするための受験対策の一環にもなっていると聞いた日には、鼻白むものがありました。これも所詮は相対評価狙いなのです。

変化はゆっくりですが、確実です。流れに後戻りがないのは、利便性が高く公平に見えるからでしょう。試験結果が3位だった子が受かり、32位の子が落ちるのに異議を唱える人はいません。しかし、問題は何を問い、どんなテストを受けるかです。高偏差値の受験サイボーグを養成し、そのやり方を他の地域にまで普及させているアジア人は、いったいどこに向かっているのでしょう?今ある世界が此岸(しがん)だとすれば、その先に広がる涅槃の境地、彼岸はどこで、どんな場所なのでしょう?

私は"アジアの彼岸"を信じていません。トップでなくても生きていけますし、豊かな人生を送れます。先端をひた走るために犠牲にしていくものの方が気になります。世界は変わりつつあり、今の子供たちが大人になる頃は今の経済万能の価値基準に大きな変化が起きている可能性が高いと思っています。「より豊かに、より金持ちになって暮らすために」と、転ばぬ先の杖的に詰め込んできたものが、あまり役に立たなくなっていることでしょう。医者や弁護士ばかりが増えても、彼らのドアをたたく人がいなければ経済価値は生まれないのです。

それよりも、誰とも争わず、人を蹴落としたり、蹴落とされたりしないで済む生き方もあることを、つつましい暮らしの中にも豊かさと喜びがあることを、身をもって息子たちに示すことこそ親としての自分の課題だと思っています。願わくは、息子たちは群集の中で目立つよりも、たった一人で佇んでいてさえも何かを醸し出せるような、ささやかでも絶対的な存在であるように。醸し出すものが優しさや思いやりという温かいものであれば、親としては本望です。

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「マヨネーズ」 エリーの息子の学校とは別のセカンダリー・スクール(日本の中高一貫校)では、1000人を越える「枕投げ大会」が行われるそうです。これは今までのギネス記録である600人台への挑戦だそうで、生徒は枕持参で登校します。"アジアの此岸"もワルくないです。

西蘭みこと