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Vol.0182 「NZ・生活編」 〜キウイ・マジック〜

「これが国際空港?」 ニュージーランド南島最大の街、クライストチャーチに降り立った私は夜行便を降りたばかりの朦朧とした頭で、ぼんやりと驚いていました。早朝の空気はひんやりと冷たく、「あぁ、もっと長袖を持ってくるんだった」と早くも後悔。すぐに予約していたレンタカー会社の人が見つかり、簡単な説明を受け、全国の主要道路がたった1枚に収まったこれまた簡単な地図とカギを手渡され、私たちは小さな中古の「シビック」とともに、ぽつんととり残されました。

旅が始まろうとしていました。これから2週間、夫と二人で何千キロも走破するのです。初めてのニュージーランド。いきなり人影も建物もまばらで、思った以上にのんびりできそうな予感。しかし、私は胸躍るどころかむしろ気が重くなっていました。「これから来る日も来る日も、この小さな密室のようなクルマの中で過ごすのか」と思うと、ため息さえ出そうです。楽しくても気まずくても、ずっと缶詰なのです。当時乗っていた「アコード」より遥かに小さなクルマを目の当たりにして、気が滅入りました。「大丈夫なんだろうか?」

当時の私達は結婚2周年を2ヵ月後に控えていました。知り合ってすぐに結婚してしまったため、お互いへの物珍しさもあって新婚の頃は比較的穏便に過ぎたのですが、2年目に入りマンションを購入した辺りから、意見の食い違いが目立つようになっていました。ささいなことでも簡単にぶつかり、ささくれ立つことも多い日々でした。いい時はいいのですが、いったんこじれると気まずいムードが厚く垂れ込め、他に家族がいないこともあって、なかなかそれが突き破れなかったのです。

「何かあったらやだな〜。」 年の功か性格か、私はたいがいしれっとしていましたが、夫はいきなり無言になってしまうクチで、そうなるとクルマの中ではかなり辛い状況です。荷物をトランクに仕舞い込み、さっくりと街の方向を確認すると、私達はクルマに乗り込みました。横で夫がシートやミラーを調節し、エンジンをかけて準備を整えています。「どうなっても一緒に行くしかない。私は免許さえないんだし。山の中で放っぽり出されてもどうしようもない。」 そう思いながら、私は観念しました。

そして、前を向いたまま語り始めました。「ねぇ、これからの旅行中はケンカしないことにしない?こんなクルマの中で気まずくなったら、どうしようもないでしょう?何があってもここまで一緒に帰ってこなきゃいけないんだし。だから、ちょっとだけ普段より我慢してみない?」 それは夫へはもちろん、自分への語りかけでもありました。独身の気ままな暮らしはもう完全に過去なのです。私達は夫婦になり、今もこれからもずっとともに暮らしていくのです。それは恒久的な休戦宣言でもあり、二人を包む呪文でもありました。

夫の答えが、「うん。」だったか、「ああ。」だったか今では覚えていません。いずれにしても、「やってみるよ。」とか「がんばろうね。」などというものではなかったことだけは間違いありません。いきなり、"ケンカ"という言葉を切り出され、まるでそれを前提としての物言いが気に入らなかったかもしれません。しかし、ぶっちゃけた話、それは現実でした。第三者のいないクルマの中で、誰に見栄を張る必要がありましょう? そうです。私達はしょっちゅうケンカをしていて、私はその時になって初めて、本気で現状を変えたいと思ったのでした。

旅程は、ダニーデン → テ・アナウ → ミルフォードサウンド → クイーンズタウン → マウントクック → テカポ湖を抜け、再びクライストチャーチへ戻るというものでした。その間の2週間、私達はとうとうケンカらしいケンカをしませんでした。何度か危うい時がありましたが、その度にお互いが口を閉じ、意見や感情をぶつけあうのを堪えました。隣のシートに座りながら、相手が我慢しているのが手に取るようにわかりました。そんな時、車窓の外の雄大な眺めや、キウイの温かさにどれほど慰められたことか。

あの旅を通じて、私達は瀬戸際で踏み留まることを学びました。それはある日、ひょいと自転車に乗れたようなちょっとしたことでしたが、後戻りはありませんでした。あれ以来、私達は日常茶飯な仲たがいをしなくなりました。もちろん、お互いの沽券にかかわるようなことでは、とことん意見をぶつけ合いますが、それもせいぜい2年に1回くらいなものです。これ以外のたいがいのことは、流せるようになったのです。私はあの時に自分の口をついて出た心からの呪文を、密かに「キウイ・マジック」と呼んで感謝してきました。あれから11年。不思議な魔法は今でも効いています。

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「マヨネーズ」 香港時間ではあと23時間で新年を迎えます。慌しいながらも、心穏やかで家族揃った幸せな年末です。イラクやアフガニスタンでは日々の生活さえままならない人たちが大勢いて、イランの大地震では死者が4〜5万人にも達しようとしています。死者や負傷者を取り巻く、その何十倍もの人々が苦しみあえいでいることでしょう。他にも飢えや身の危険で明日をも知れぬ人たちや子供がこの地球上にはどれだけいることでしょう。彼らの痛みに比べれば「ボーナスが減った」だの、「受験をどう乗り切るか」などという不満や心配が、いかに小さなものであることか。私達のニュージーランド移住がなかなか実現しないことも、またしかりです。

来年もささやかに暮らしながら、人と痛みを分かち合い、ありとあらゆる子供を慈しみながら、家族や友人たちと楽しく、心豊かに生きていこうと思います。みなさまにおかれましては、素晴らしい新年をお迎え下さい。そして、これからもよろしくお願い致します。

西蘭みこと