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Vol.0201 「生活編」 〜Where We Were7〜

映画「ラスト・サムライ」には悪役はいるものの、究極的な悪人は出てきません。極論ですが、立場の違う善人同士の対立を描いた映画とも言えます。私の自論「ウルトラ性善説」でいけば、日々の暮らしはもちろんのこと動乱の時代であってさえ、絶対悪を体現する人はそれほど多くなかったと思われます。それぞれが切磋琢磨しながらも目指すところが違えば対立し、その中で善玉・悪玉の色分けができたに過ぎないのではないでしょうか?

唯一の悪役は天皇の側近で近代化を強力に推進する、大村大臣(原田真人)です。2時間かけて作るという立派な髭と頭に張り付く当時ならではの独特のヘアスタイル、燕尾服もしくは金モールでコテコテの軍服と、彼の存在そのものが鹿鳴館です。急ピッチで進む鉄道網の敷設を個人で一手に担い、外資と結託しつつ私服を肥やすこの男とて、日本の将来を真剣に考えていました。「武士道」という精神に殉じようと内向きになりつつあった侍たちよりも、はるかに大局的な視点に立ち、国民に平等でなくても、西洋に身を売ったと批判されても、内輪もめで国が滅んでしまう愚を阻止した功績は称えられるべきでしょう。

私は、侍の長・勝元盛次(渡辺謙)と大村の日本を思う気持ちの強さに、大差はなかったと思っています。ただし、その思いに大村が自身の欲をからめたのに対し、勝元は侍としての意地を持ち込みました。二人はあるべき日本の姿という、同じ場所に続く一本道をひた走りながら、「欲VS意地」、「物質VS精神」、「特権VS被差別」、「西洋化VS武士道」を標榜して道の片側に留まり、決して反対側に渡ろうとはしませんでした。目指すものが同じであるからこそ双方譲らず、己の正当性を武力に訴えてでも主張し合ったのでしょう。

ここからは深読みですが、映画には「大村の嫉妬VS勝元の優越」という、もう一つの対立があったと想像しています。美丈夫で大器に恵まれ、文武両立を具現する勝元は人を惹きつけて止まない大人物ですが、一方の大村は金ピカに飾りたて、流暢な英語で語学武装していても、器の小ささがにじみ出る小人物として描かれています。天皇を手名づけ時の権力と富を一身に集めても、彼は枕を高くして眠ることができませんでした。説き伏せたはずの天皇が、「朕はどうすればよいのだ。教えてくれ。」と勝元にすがるかと思えば、自分の見立てでアメリカから連れてきた傭兵のオールグレン大尉(トム・クルーズ)は、勝元の"捕虜"として囚われているうちに進んで彼の手勢に加わり、今や敵となってしまったのです。

大村には権力と富をもってしても手に入らなかった人望というものが、決定的に欠けていました。利己を追求する以上、無理からぬ話です。自身でもそれを十分理解していたからこそ、せめてもの権力と富に固執したのでしょう。彼のめらめらと燃える嫉妬は幾度となく銀幕に写し出されますが、中でも秀逸だったのは天皇が勝元を呼び寄せた際、一緒に上京して"解放された"オールグレンと再開するシーンです。彼がすっかり変わってしまったのを承知の上で、大村はあえて"He is an extraordinary man."と勝元を持ち上げ、かまをかけます。

それに対しオールグレンは、大村の意図を百も承知していながら"He is just a tribe leader."と素っ気なく答え、止めを刺すように"I've seen a lot."と付け加えます。この時の大村たるや、女房を寝取られたコキュ(マヌケ男)さながらで、自身も映画監督である原田真人が二の句が告げなくなった微妙な男心を見事に演じています。私などはこの屈辱だけでも、大村が勝元を亡き者にしようと誓うに十分だったのではないかと勘ぐってしまうほどです。後日、天皇の命を受けて元老院参議として返り咲くところだった勝元を、大村は帯刀の違法性を理由に蟄居に処し、面目を潰すことで自決を迫ります。

しかし、勝元は村に戻って体制を整え、圧倒的に優勢な官軍と戦うことを選択するのです。そして迎えた合戦で、最後のサムライとして滅んでいきます(〜その5〜参照)。大村は戦場でこそ恐怖と嫉妬、屈辱と興奮におののいていたものの、宿敵を倒しやっとの思いで枕を高くして眠りかけた矢先、生き残ったオールグレンが勝元の遺品となった刀を天皇に届けるところに出くわします。彼は生前の勝元に誓った通り、日本人としての誇りを忘れず、その原点に立ち返ることを求めて止まなかった故人の遺志を、天皇に伝えに来たのです。

それをさえぎり、「私は国家のために身を投げ打って」と亡き勝元に対してさえ、いまだに張り合おうとする大村に、若き天皇は全財産を供出して国に尽くすよう命じます。これこそ元老院で勝元が、「大村財閥は民に施しをしたか。」と問いただしていた点です。「そのような屈辱には耐えられません。」と反論する大村に、「されば、この刀を与えよ。」と、天皇は勝元の形見を突きつけます。勝元は死してなお、大村の前に立ちはだかったのです。

この時、他の並み居る大臣たちより一段高い所にいた大村が、よろりと後ろにつまづき、下の段に落ちるように降りるのです。その段差たるや階段ほどですが、このよろめきこそ、「近代のよろめき」とでも名づけたい名演技で、5回観ても感動しました。燃えるような嫉妬と野望で、命まで奪った男に惨敗した絶望と安堵(!)を、これほど端的に表せるとは、本当に奇跡のようです。「戦場のメリークリスマス」のラストシーンで、ビートたけしが「メリークリスマス、ミスター・ローレンス!」と放心した大写しの笑顔で呼びかける、映画史に残る名場面に匹敵するシーンではなかったかと、密かに思っています。(つづく)

<天皇に拝謁するオールグレンら。左手奥が大村。後に彼がよろめいた段差も。公式ホームページより> ***********************************************************************************

「マヨネーズ」 まだ(つづく)なのには本人もビックリですが、広げた風呂敷がたためない状態で(笑)、もう少しイッちゃおうかと思ってます。日本から友人が買ってきてくれた「公式ガイドブック」はなぜか子供達が繰り返し、繰り返し見てます。刷り込み、刷り込み?

西蘭みこと