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Vol.0216 「NZ・生活編」 〜NZへの橋 通過儀礼編〜

前回の「引越編」では、家賃の大幅値上げをきっかけに、西蘭家がこの期に及んで引っ越すことになった経緯をお話しましたが、もともと「趣味:引越し」と言ってはばからない大の引越し好きの私にとり、家を変わるということはかなり前向きに捉えられる一大イベントです。例え、それがどんな状況下にあっても、です。なぜか私の辞書には、その解釈として「面倒くさい」「カネの無駄」に相当するネガティブなものは一切載っていないのです。先天的かつ慢性的な、「真性引越し貧乏」なんでしょう。

今回は引っ越し先がサービス・アパート(日本でいうウィークリー・マンション)であることに、かなり惹かれています。今までサービス・アパートなる場所を訪れたことはなく、掃除のためとはいえ、週に何度も他人が家に入ってくることなど想像だにできませんでした。しかし、下見に訪れたとたん、考え方がガラリと変わりました。「こっ、これはモーテルじゃない!」と、とっさに思ったからです。

ニュージーランド旅行に行くたびに泊まり歩いているモーテルは、私達にとってなじみ深いものです。ホテルというよりはだんぜん家に近く、普通のカーテンに普通のベッドカバー、必要最低限の家具や家電があり、住もうと思えば一家で住める広さです。洗濯機だけは共同で、裏庭や前庭があったりします。ステンレスのシンクがはまった小さなキチネットの引き出しを開けると、全国どこのモーテルでもスプーンや布きん、缶切りやワインオープナーが妙にきちんと並んでいる、といったあんばいです。

生活感があるようで、実は第三者の存在を強く感じる場所でもあり、歯ブラシを置く場所やタオル掛けがなかったり、キッチンのゴミ箱が妙に小さかったりするのに、金庫は必ずあります。いくらくつろいでも自宅ではなく、旅の途中のハレと日常のケの狭間に位置する、なんとも妙な空間なのです。夜に荷解きをして一息ついたかと思えば、朝には荷作りを済ませてさっさと出て行くような、刹那的な場所でもあります。そこで食べる夕食は家で作るより遥かに簡単なものでありながら、大きさの合わない鍋で作った、見慣れぬ食器に盛った料理を囲めば、なんだか特別な晩餐のように儀式めいた気分になるから不思議です。

サービス・アパートにはそんな雰囲気が満ち満ちていました。入ること自体が、いつか出て行くことを目的にしており、ここでの暮らしが一時的なものであることを象徴しています。ゆったりとした肘掛け椅子にどっかりと腰を下ろしてまどろむのが家だとすれば、華奢な椅子に浅く腰かけ、どこかにほどよい緊張感を残している場所とでも言いましょうか? すぐに立ち上がれるような見構えが、常にあるのです。

「どう?気に入った?」 爽やかな風が吹き抜けていくベランダに二人で立ちながら、青々とした競馬場を見下ろしていると、不意に夫が聞いてきました。「いいじゃない。」「じゃ、決まりだね。」 彼もホッとした様子でした。言葉にこそしませんでしたが、その時の私達の心は、「さぁ、いよいよ始まる。もう後戻りはないんだ」という、覚悟と期待がない交ぜになった気持ちで満たされていたはずです。

この引越しを機に生活と移住のバランスが、今までの生活重視から移住重視へと逆に振れることになります。これまでは違和感も犠牲もともなわない状態で、徐々に移住というものを生活の中に取り込もうとしてきましたが、これからは移住のためなら日々の暮らしをある程度犠牲にする覚悟なのです。「上等じゃない。」 目にも眩しい競馬場の緑を見ながら、私は気持ちが吹っ切れたのを感じました。

定着型の居住者から移動型の旅行者へと発想を転換したとたん、物への執着が剥がれ落ちるようになくなりました。「こんなものまで持っていけない」となると、惜し気もなく処分できるから不思議です。テレビや電子レンジなど一部の家電製品は使い慣れた物を引越し先まで持っていくとして、家具で持って行くのはシンガポールで買ったアンティークの机と物入れ代わりにしている蓄音機台のみとなります。親子で川の字になって寝た思い出のダブルベッドも、子供が立てるようになった頃、やたらに引き出しを開けるのに閉口して、ガムテープを張りまくった愛用のチェストもここでお別れです。

これから1ヵ月半の間に持ち物は5分の1かそれ以下にまで減ることでしょう。荷造り上手は旅の鉄則。必要なものを最小限持ち、足りない物は徹底的に知恵を絞って何かで代用するか、なしですませるか。今では、飾り気のないこざっぱりとした暮らしそのものが、一種の通過儀礼のように感じます。そのためにも敢えてたくさんの物を持たず、「これだけは」という物を厳選し、選に漏れたものには感謝して別れを告げることにしましょう。本当の目的地はまだだ先なのですから。

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「マヨネーズ」 「ちょっと英語の勉強に行ってくるよ。」 夫が7時少し前に出かけていきました。今日はラグビー仲間との飲み会です。飲み会といっても居酒屋に腰を落ち着け、タバコの煙がもうもうと立つ中、次から次へと酒やつまみが運ばれてくるようなものではなく、スポーツバーのカウンターに立ったまま、スクリーンが映し出すどこかの試合を横目に、ビールを片手に延々と話しながらひたすら飲むのです。つまみはピーナツか、ポテトチップスか。間違っても最後にラーメンで締めたりしません。こういう時、日本人はいつも夫ぐらいなもので、耳にする英語もスラングがテンコ盛りの聞き慣れないもの。でもそれをとても楽しみにしていて、マメに出かけて行く夫。その自然さが羨ましい私。

西蘭みこと

   
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