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Vol.0218 「生活編」 〜祈りのある暮らし〜

先月、突然ですが、家の中に非常に簡単な神棚を作りました。前から「欲しいな〜」と思っていたのですが、いざ伊勢神宮あたりで本格的なものを買ってしまうと、やれ置く方角がどうの、掃除の仕方がどうのと、宗教上のいろいろなしきたりや作法が付いてきそうで躊躇していました。宗教的に何かをまっとうしたいのではなく、もっと自分本位に祈りたいだけなので、これらの決まり事は正直言って面倒でした。ただし、知ったら知ったで守りたくもあり、「知らぬが仏」に限ると密かに思っていました。

しかし、祈りへの想いは年々強まる一方です。1年前にも「祈りの場」と題するメルマガを配信し、ニュージーランドで2ヶ所、いつ行っても自然に手が合わさる場所を取り上げていた程です。今年に入ってからは飼い猫ピッピのガン発病もあり、祈りへの渇望に抗し切れなくなっていました。そんな折、夫と子供が日本へ帰国し、毎年恒例のお伊勢参りとピッピのために霊験あらたかと言われる箱根の九頭龍神社への参拝を済ませ、それぞれでお神札(ふだ)をいただいてきました。これに私の実家から近い、鎌倉の鶴岡八幡宮のお神札を加え、「よし、神棚を作ろう!」と決めたのです。

うちには子供と猫が届かないよう、壁の高いところに飾り棚を付けており、旅先で買った小さな置物をびっしりと並べていましたが、それを神棚にすることにしました。伊勢神宮のお神札にお祀りの仕方が添えてあり、それを参考にすることにしました。神棚を設けるのは、「家のうちで最も清らかな場所をえらび、できれば、南向き、または東向きに設けることが好ましい」と、いうことでした。飾り棚はリビングにあり、ちょうど東向きです。

お神札の並べ方は、横に並べるのであれば、伊勢神宮のお神札を中心に、「向かって右に氏神さま、左に崇敬される神社のお神札をおおさめします」とあります。重ねる場合は一番手前が伊勢、その後ろに氏神、その後ろに崇敬神社となるそうです。細い棚ゆえ、横に並べるしかなく、手前に三角になるように置くお供えも、お神札の前に横一列に並べざるをえませんが、「絶対にこうでなければならないといった、窮屈で堅苦しいものではありません」という一文に支えられ、これで良しとしました。

お供えは毎朝、土器に洗米と塩、ガラスのコップに水を入れています。土器はお伊勢参りの時にお神酒をいただく素焼きの小皿を使い(毎年持ち帰っているためたくさんあります)、コップは冷酒用のお猪口で代用することにしました。神棚といえば榊ですが、香港では見かけない上、「榊のない地方では」という断り書きに「椿、杉といった常緑樹を用います」とあったので、トロピカルな観葉植物から、絶対枯れなそうな濃緑の葉を捜してきました。

こうしてできあがった、ナンチャッテ神棚ですが、できてしまえばこっちのもの。毎朝お供えや花瓶の水を取り替え、月末には特に丁寧に掃除をしました。それにより何がどう変わったかと言えば、たとえ1日、1、2分とはいえ眠る時以外にも目を閉じ、何かを考え、それを心の中で言葉にして祈るという所作を通じ、非常に気持ちが落ち着くことを実感しました。

心の中で語るのも自分なら、それを聞くのも自分です。そこに神だの仏だのが本当に介在するのかどうかはわかりません。しかし、曲がりなりにも祈りというかたちをとることで、サムシング・グレートな第三者を引き入れ、自らのつぶやきを単なる愚痴や思いつきから、誰に聞かれてもそれなりに聞こえるような内容に昇華させることができます。「祈りの場」にも書きましたが、祈りとは決して一方向の"おねだり"ではなく、願うと同時に自分も実現に向けてまい進することで双方向になる、"対話"なのだと信じます。

これも先に書いた通りですが、「何かが起きれば反省したり喜んだりし、何も起きなければ起きない意味を掘り下げて考え、最終的には感謝につながっていくもの」、だとも信じています。特に願っても何も起きない場合、「やっぱり神なんていない」と短絡的に考えるのではなく、「願いが本物か」「やり方が間違っていないか」「時機がふさわしいか」など、自らの望みを改めて考え直すきっかけが与えられているのだと、信じられるようになりました。

この春に移住が成就しなかったのは、生死をさまよったピッピの闘病があったからではなかったかと思っています。もちろん、大騒ぎの最中に移住認可が出たとしても私達には1年の猶予があります。しかし、認可が出た以上、何としてもピッピを連れて行こうと、私の看病に自分の都合を優先した邪(よこしま)な気持ちが入ったであろうことは、想像に難くありません。そうでなかったからこそ無心の看病に徹し、ピッピへの精神的負担を軽減できたのかもしれません。今では発病自体、12年もお世話になったペットへの恩返しに、ピッピが命を賭して機会を与えてくれたのだと悟り、心の底から感謝しています。

神棚を設けてから学んだ一番大切なことは、願いがかなわない時でも感謝の気持ちを持てるということでしょう。もちろん、かなう願いもあります。祈り始めて数日でピッピが自分で食べ始め、水も飲むようになりました。願いが本物であれば、"対話"は成立するようです。

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「マヨネーズ」 まだ1ヶ月半もあるというのに、ここ数日、引越し準備に追われています。家具を含め荷物を激減させねばならず、悩ましいところです。幸いかなりの家具の引取り手が決まり、運送業者の見積もりも取ったので、ここからは細かい仕分けに取りかかります。本などNZに着くまで開けない覚悟の箱もあり、すっかり"その気"の荷造りです♪

西蘭みこと

   
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