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Vol.0219 「NZ・生活編」 〜5月12日 午前編〜

1年前に配信したメルマガ「3月26日」に書いた通り、私は2003年3月26日に"人生の大きな角を曲がった"と思っています。その日は、当時、猛威を振るっていたSARSからの一時退避のために子供を連れて日本へ帰る可能性を初めて考えた日であり、後に移住エージェントから知らされたところでは、私達のニュージーランドへの移住申請書が移民局により正式に受理された日でもありました。その後、思いがけない4ヶ月の日本滞在を経て、あれから約1年2ヶ月。私達は再び角を曲がったようです。
(←前回泊まったオークランドのグリーンレーンで見つけたアンティークショップ前のディスプレイ)

前回が振り返った時に改めて知った、ゆるいながらも大きなカーブだったとしたら、今回は通過した瞬間にそれとわかる急カーブでした。私達は5月12日に、突然その場に行き当たりました。いつものように何気なく1日が始まり、キッチンで慌しく子供の弁当作りをしていると、「エージェントからメールが来てる。動きがあったみたいだ」と、夫が耳打ちしてきました。彼はどういう内容なのか、さわりさえも話さずにシャワールームに消えて行き、かえって込み入った気配を感じました。しかし、私は用意を続け、子供に朝食を食べさせ、スクールバスの見送りに出てしまいました。

今になって思うと、前日にはかすかな予兆がありました。申請後1年が過ぎたこともあり、私達は4月以降、エージェントと密に連絡を取りながら追加書類の作成に取りかかっていました。申請したロングターム・ビジネス・ビザ(LTBV)とは平たく言えば起業家ビザですので、事業内容やその見通し、準備資金や借入計画、事前の市場調査結果を始め、業界団体との接触の有無、会計士や弁護士との面談記録など、本当に求められているのか判然としないような資料まで、提出するのが望ましいとされる書類は山のようにあります。しかも、アピールのためにエージェントが要求してくる追加書類ともなれば、「本当にこんなものが必要なんだろうか?」と思われるようなものも混じってきます。

それでも私達が作成すべきものは4月末までに完成し、一息ついたところでした。ところが、外部から入手しなくてはならない数種類の書類がどうしても揃わずにいました。いずれも先方には連絡済みで協力の了承も得ていましたが、5月11日の段階で何も届いていませんでした。それが揃うのを待って追加書類を移民局に提出する運びになっていたため、さすがにのんびりの私達も少々気を揉んでいました。一つも届いていないことが、なんとも妙でした。しかも、前週の金曜に、「週明けに電話する」と言っていた、電話の約束だけは守るエージェントからも、電話どころかメールも入らずに火曜の夜を迎えていました。

その夜は珍しく、届かない書類の話を夫婦でしんみりしました。「みんな忙しいだろうし、プッシュするって話でもないだろうし・・・。まっ、そのうち来るだろう」と、いつもの結論に達し床に着きました。ベッドに入ってから寝入るまでのほんの瞬間に私の頭を過ぎったことは、"The darkest hour is always just before the dawn(夜明け前が最も暗い)"という、株式レポートのタイトルとして何十回も見たことのある格言でした。市場であれば相場の反転見通しを顧客に吹き込むための常套句として、使い古され擦り切れたような言葉ですが、ふと我が身に置き換えてみると、妙に新鮮でした。「どこが地平なのかわからないほどの漆黒の闇に、生まれたての薄紫の光が徐々に差してくる・・・」 そんな光景を想いながら、私は深い眠りに落ちていきました。

そして目覚めた時には届いていた、エージェントからのメール。朝の一仕事を終え、やっとパソコンに向かった私は、添付資料があるのに気づくや否やいつもと違う展開が起きたことを悟りました。内容は、私達の正式な担当官が決まり、実際の審査が始まっていることを伝えるものでした。担当官はそれまでに二転三転しており、4月の段階では空席になっていたので大きな前進です。しかし、喜んだのもつかの間、添付を開いて絶句しました。

それは移民局が申請書類の審査を委託しているらしい、世界的に名の知れた大手会計事務所が作成したもので、私達の申請書類に対する所見でした。総論として、「この手の事業は"NZへの貢献"という条件を満たしていないと思われる」とありました。LTBV申請では、@技術・管理・技能および製品・サービスの新規導入もしくは改善、A輸出市場の新規開拓もしくは改善、B雇用機会の創出、C既存の国内産業の活性化という、いずれかを満たしてこそ"NZへの貢献"が認められることになると言われています。逆に言えば、これを満たしていなければ認可を得ることはほとんど不可能なのです。

会計事務所の文面を額面通りに読む限り、私達に認可が下りるチャンスはありません。しかし、最初こそ言葉を失ったものの、彼らの査定を読んでいるうちに腹がすわり、不思議なほど動揺もありませんでした。かつて、「黒字化して納税しても"NZへの貢献"にはならないんだから、赤字で借金しながらでも人を雇って"NZへの貢献"を示した方がいい」という、信じがたいアドバイスをくれたエージェントもあったことが、ふと頭を過ぎりましたが、今でも彼らを鼻で笑える自分にホッとしました。エージェントからのメールに簡単な返事をしたためると、私はすぐに身支度を始めました。会計事務所の所見への反論などやることはたくさんありましたが、まずは決めていた外出を優先させることにしました。
(つづく)

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「マヨネーズ」 「夏休みはどうするの?良かったら、家族で1、2週間うちに来ない?子供も喜ぶと思うわ。あっ、でもネコちゃんの問題があるのよね〜。難しいかな?」 そう電話をくれたのは、子供のクラスメートのママで、親しくしているイギリス人でした。彼女が言う"うち"はロンドン郊外のお屋敷のことです。う〜〜ん、これは確かに難しい!

西蘭みこと

   
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